観光の起爆剤としてのアニメ聖地巡礼という動き
東京IRはさすがに架空の場所だが、この映画でも例えば警視庁のような実在の場所はかなり忠実に描かれている。「アニメ映画なんて、所詮子ども騙しの絵空事」…というイメージはもはや過去の遺物となり、近年のアニメの舞台は実写並みに緻密なロケハンを繰り返し、徹底的にリアリティを追求して細部を再現していくことが常識になっている。それを受けて、アニメの中に登場した風景を求めて実際にその場所を訪れる旅も一般的となり、「アニメ聖地巡礼」という言葉が浸透してきた。こうした動きは実写映画では「フィルム・ツーリズム」と呼ばれ、古くは「ローマの休日」の真実の口や「ロッキー」のロッキー・ステップ等々、定番観光地化しているものも多い。アニメに関しては数年前までは架空の世界観を作るために直接的な表現を避けることが多かったので、「千と千尋の神隠し」(2001年公開)などでモデルになった場所を探して、日本中で活発な議論が巻き起こった。制作サイドは特定のモデルはないとしているが、台湾の九份がかなり近いと噂され急激に脚光を浴び、コロナ前には日本人観光客も多数訪れる人気スポットとなっていた。
その他、様々なアニメに関しても、一部マニアの間で「聖地巡礼」と称されてモデルとなった場所を訪れる動きが密かに楽しまれていたが、2007年に放送されたTVアニメ「らき☆すた」では、モデルとなった鷺宮神社(埼玉県久喜市)と地元商工会が制作者サイドと正式に協力しあってイベントを開催。絵馬型の携帯ストラップといった神社に関連したグッズを制作したことが大きな話題となった。商店街には1億円を上回る経済効果があったとされ、アニメが街おこしの有効な手段となることを実証して、日本中の自治体からの関心を集め始める。
2016年に公開され、世界的な大ヒットとなった「君の名は。」のモデルとされている岐阜の飛騨高山エリアや、リアルに描かれた東京の信濃町駅前歩道橋、四谷の須賀神社などのロケ地には国内外から数多くの聖地巡礼客が押し寄せ、世間を驚かせた。この年、ガンダムシリーズの総監督である富野由悠季氏を会長としたアニメツーリズム協会が立ち上がり、世界中からの投票による「アニメ聖地88」を選定している。「アニメ聖地巡礼」は同年の流行語大賞トップ10にも入賞し、このあたりから完全に市民権を得ることになっていった。
シンガポール観光局も導入したアニメツーリズム
このようにアニメがロケ地のリアリティを追求していく中で、国家の政府観光局の協力を受け、シリーズ初の海外ロケ作品としてシンガポールを舞台に作られたのが、2019年のG.W.に公開された「名探偵コナン 紺青の拳」だ。シンガポール政府観光局は「クレイジー・リッチ!」など多くの映画作品に積極的に協力し、観光客の誘致につなげている。日本で行われた完成記念試写会には観光局長も出席し、シンガポール航空の「コナンと一緒にシンガポールへ行こうキャンペーン」が開催されるなど、国中の期待を一身に集める作品となった。「紺青の拳」に関してかなりざっくりした説明しておくと、シンガポールで開催される空手大会に参加する仲間の応援のために、コナンファミリーが揃ってシンガポールを訪れるところから話が始まる。紺青のフィストというのは、沈没船から引き上げられた巨大なブルーサファイアの通称だが、これを巡って様々な事件が起こっていく。スクリーンにはマーライオン、マリーナベイ、ホーカーと呼ばれる屋台が並ぶシンガポール名物のB級グルメ広場、中華街、室内競技場、ラッフルズホテルといった観光スポットがリアルに再現されていく。中でも圧倒的な存在感を持って描かれているのが、統合型リゾートであるマリーナベイ・サンズだ。シンガポールIRの経緯に関しては「クレイジー・リッチ!」のところでも紹介しているが、カジノを原動力とするプロジェクトでありながらカジノの存在は地下に隠し、ランドマークとしての建物自体を最大の広告塔にしている。観客の中心である若年層への配慮も含め、映画の中でもカジノに関する描写は一切ないという徹底ぶりだ。
57階建ての高層ホテルを3つ並べて作り、その上に空母並みの大きさの船を乗せたようなデザインは世界的に類を見ない。船の舳先にあたる部分が大きく空中に突き出していたり、風水の要素を取り入れて全体的に斜めに傾いて設計されていたりなど、本能的に不安定と感じる要素が多く、「マリーナベイ・サンズ」と検索すると「傾く」「倒壊」と言った危ない候補ワードも出てくる。このようにマリーナベイ・サンズは世界中の羨望とともにたくさんの都市伝説も生んでいるのだが、ことほど左様に気になる存在であり、映画の中でも主役と言っても良いくらいの重要な舞台として描かれている。繰り返し登場する屋上のインフィニティプールは、世界で最も高い場所(地上約200メートル)にあるプールと謳われ、これを目当てに訪れる観光客も多く、誕生から10年を経過した現在もその魅力はまったく色褪せていない。
そんなプールを備えた屋上の空中庭園だが、映画の中では派手すぎる演出により大変なことになってしまう。「こんなことやっちゃって大丈夫なの? 叱られないの?」という声が巻き起こるようなシーンが満載なのだが、制作サイドの緻密な根回しと、シンガポール政府観光局をはじめとする関係者の太っ腹な対応のためか大きな問題には至っていない。こういう描写が受け入れられるのもアニメ映画ならではの強みだろう。結果として、「安室の女」たちに支えられ記録的な数字を叩き出した前作を超える好成績をおさめ、日本からの観光客の増加にも寄与している。
ジャパニメーションやクールジャパンと言った言葉に象徴されるように、もはや日本を代表する文化となっているアニメは、国内外の観光客に訴求するためのツールとしてかなり有効だ。世界的にも知名度の高い「名探偵コナン」のようなコンテンツは、日本型IRの重要なファクターとなっていくだろう。さらに政府がIRに求める難しい課題である「観光送客」の答えのひとつが、アニメ聖地巡礼やその周辺にあることも間違いなさそうだ。どのようなコンテンツをどう料理し形にしていくか…、今後IRに向けたクリティカルなヒットを実現するためには、微妙なさじ加減を要求されていくことになっていくだろう。
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