【IR映画ガイド】映画史に残る傑作はIR映画だった!?「ゴッドファーザー」 (1/2)

JaIR編集委員・玉置泰紀

統合型リゾート(IR)の舞台をめぐる映画連載第6回目は、実在のモデルも交えてラスベガス創成を背景にした映画「ゴッドファーザー」3部作を紹介する。*ネタばれあり

「ゴッドファーザー」(1972年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv3404/

「ゴッドファーザー PARTⅡ」(1974年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv3405/

「ゴッドファーザー PARTⅢ」(1990年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv3406/

 フランシス・フォード・コッポラ監督作品を代表する、というよりは映画史に燦然と輝く大傑作の三部作だが、イタリア移民がマフィアとしてアメリカを生き抜く大河ドラマの大ネタとして、ラスベガスのカジノが出てくる。第一作が1972年公開で、1969年にハワード・ヒューズなどの働きかけでカジノ・ライセンス法が施行されてから間がないころ。マフィアが表舞台から姿を消すのは80年代に入ってからなので、まだ、生々しいころの映画になる。

 なぜ、ニューヨーク・マフィアだったコルレオーネ・ファミリーがラスベガスに進出をしたのか。これは、実際の歴史や背景、モデルと密接な関係がある。そして、ここにラスベガスの持つ魔力の秘密を見ることができる。

 1901年のシチリアから1980年代のシチリアまでの大きな円環のドラマを見ていこう。 

現在のラスベガスのスタート地点であり、今も健在のフラミンゴ・ラスベガス
 

なぜ、ニューヨークからラスベガスへ移ったのか? IRはこうして始まった

 三部作のパートⅠは、1945年、第二次世界大戦終戦直後、ニューヨーク5大ファミリーの一つ、コルレオーネ・ファミリーのドン、ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の娘、コニーの結婚パーティから始まる。そこに、のちに2代目のドンになる次男のマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)が軍服で帰ってくる。彼はマフィアでなくダートマス大学を出て海兵隊に入り、戦場での活躍で英雄となっていた。このパーティーのさなかも、ヴィトーは様々な陳情者に会って、ゴッドファーザーとして面倒を見て対処を決めていく。そこには、ヴィトーを代父(ゴッドファーザー)とする人気歌手、ジョニー・フォンテーンも。彼は、歌手としての活動が行き詰まり、映画に活路を見出そうとしていたが、やっと見つけた最良の役が取れず苦しんでいて、ヴィトーに助けを求めたのだ。

 ジョニーのモデルは、後のラスベガスの顔役、フランク・シナトラ。実際、シナトラが「地上より永遠に」(1953年)の脇役に抜擢されるまでの有名なエピソードが連想される。スランプからのカムバックを狙ったものの、女性スキャンダルで役につけなくなったシナトラが、伝説的なマフィアのドン、サム・ジアンカーナに泣きつき、ジアンカーナの「助け」で役に抜擢されたというエピソードだ。「ゴッドファーザー」では、ジョニーを役に付けるの拒否していたプロデューサーのウォルツは、ベッドの中で切り取られた愛馬の首を見つけることになる。

 サム・ジアンカーナはシカゴ・アウトフィットのボスで、シカゴの親玉だった。シカゴ・アウトフィットは後で出てくるベンジャミン・”バグジー”・シーゲルの愛人、ヴァージニア・ヒルとも関係があったといわれる。

 さて、映画は、マフィアにとって新しい凌ぎである「麻薬」というビジネスを受け入れるか否かで抗争に発展していく。ヴィトーが撃たれたり、長男のソニー(ジェームズ・カーン)が殺されたり激しい戦いの中、マイケルが組織を引き継ぐ決意をし、5大ファミリーのドン全員と、ラスベガスの有力者、モー・グリーンを粛清するところで終わる。

 なぜ、モーも粛清したかと言えば、2代目のドンになったマイケルが、次の時代を見据えて、組織の合法化を図るとともに、ニューヨークでの凌ぎが厳しくなってきていたコルレオーネ・ファミリーの新天地として、急成長を始めたラスベガス進出を狙ったのだが、現地の有力者、モーがこれに対抗して争っていたのだ。

 このモー・グリーンのモデルが、1946年にラスベガスの統合型リゾート第一号といわれるフラミンゴ・ホテル(現在はフラミンゴ・ラスベガス)を作ったベンジャミン・”バグジー”・シーゲル(バグジーは愛称)。連載の第1回で紹介した映画「バグジー」の主人公だ。モー・グリーンという役名はバグジーのアシスタントだったモー・セドウェイ、バグジーの死後、モー・セドウェイとともにフラミンゴ・ホテルを再生させたギャング、ガス・グリーンバウムから取られている。実際のバグジーは開業翌年の1947年に殺されているので、映画のモーはバグジーとモー・セドウェイ、ガス・グリーンバウムの3人を合わせたようなキャラクターともいえる。

 「ゴッドファーザー」のモー・グリーンは、コルレオーネ・ファミリーから多額の出資を受けていた恩義があったが、実は、ニューヨークでコルレオーネと対立していたバルジーニに鞍替えしていたのだ。モーのカジノとホテルを丸ごとを買収し、ニューヨークからラスベガスへ本拠を移そうとしたマイケルの提案は当然受け入れられなかった。

 実際のベンジャミン・”バグジー”・シーゲルも、元々はニューヨークの伝説的な武闘派ギャングだったのが、西海岸でのビジネス開拓を託されて、ロサンゼルスを訪れ、ハリウッドの労組問題処理などで名を上げたあと、フラミンゴ・ホテルの開発を任され、彼独自の美学とヴィジョンで予算を大幅に上回りつつも、従来のカジノ+アルファの総合的なリゾート、今の統合型リゾートの元型を作り上げた。

 つまり、第二次世界大戦後、バグジーが切り開いたラスベガスの可能性に食いついてきたのが、ニューヨーク・マフィアだったわけだ。フラミンゴ・ホテルは、ニューヨーク・マフィアの多額の出資で実現していて、フラミンゴの成功の後は、続々とニューヨーク・マフィアがラスベガスに進出することになる。

 マイケルは、昔ながらの移民第一世代のマフィアに対し、新しいタイプのマフィアとして合法化を目指す中、ラスベガスに目を付けた。ニューヨークでの非合法なお金を、ラスベガスのカジノやリゾートビジネスで洗浄しようとしたわけだ。即ちロンダリング。今も、IRで常に厳しく監視されているマネー・ロンダリングがここで出てくる。

 映画冒頭に出てきた、ジョニー・フォンテーンはマイケルからラスベガスのショーを依頼され引き受ける。モデルのフランク・シナトラは女優ローレン・バコールに「ラットパック」(シナトラ一家)と命名された仲間たち(サミー・デイヴィスJr.やディーン・マーティンら)と、ラスベガスの自分が所有していたホテル「サンズ」を拠点にツアーを展開、ラスベガスの顔になっていく。この仲間で作った映画「オーシャンと十一人の仲間」(1960年)はラスベガスをシンボライズする映画になり、のちに、ジョージ・クルーニーが自身の仲間たち(クルーニー一家)と作った「オーシャンズ11」(2001年)に繋がっていく。