【IR映画ガイド】ラスベガスを作った男の華麗で危険な香りのロマンスを描く「バグジー」

JaIR編集委員・玉置泰紀

 統合型リゾート(IR)の舞台をめぐる映画連載の第一作目はラスベガスを作った男、ベンジャミン・シーゲルの波乱万丈の人生を描いた「バグジー」を見てみよう。

「バグジー」(1992年日本公開 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv7292/

 ラスベガスのスタートは1820年代にさかのぼり、最初はネヴァダ砂漠のオアシスだった。1840年代にはゴールドラッシュで大きく発展、1905年にはユニオン・パシフィック鉄道の開通とともに、蒸気機関車の給水地として地歩を固め、1929年の大恐慌を契機に経済対策として1931年に賭博が合法化され、今の基礎ができた。

 新型コロナウイルスによる経済ショックはリーマン・ショック級ではなく、大恐慌級で経済対策もニュー・ディールが必要だという声も聞かれるが、ラスベガスは、大恐慌対策のニュー・ディールの目玉、フーバーダムの建設で(1931年着工、1936年完成)、ダム工事の労働者が大量に流入し、完成後はその水力発電から安価な電力を手に入れたことが大きな基盤になった。その後、第二次世界大戦に突入してからは近くに軍事施設や核実験場ができたため、その関係者の居住も増えた。

 そして満を持して、1946年にベンジャミン・シーゲル(愛称バグジー)が開業したのがフラミンゴ・ホテルである。今も、その威容を保つホテルは、プールや射撃場、ゴルフクラブなどのリゾート設備をカジノとは別に完備したIRの原点である。

 このバグジーを映画にしたのが、1991年公開の『バグジー』(日本公開は1992年)だ。「俺たちに明日はない」のウォーレン・ベイティが、魅力的だが狂気に満ちたバグジーを演じ、ヒロインである愛人ヴァージニア・ヒルはアネット・ベニング。バグジーの運命を振り回すファム・ファタールを演じ切っている。

 監督は、『レインマン』でアカデミー賞の監督賞をとったバリー・レヴィンソン。この作品もアカデミー賞の美術賞(監督賞と装置賞)、衣装デザイン賞を取っている。音楽はエンニオ・モリコーネで、他にもハーヴェイ・カイテル、エリオット・グールドやベン・キングズレーらが出演。砂埃が舞う何もない砂漠に空前絶後のホテルが建設されていく様子をリアルに表現している。かなり史実に即しているが、フラミンゴ・ホテルやラスベガスに関する部分は実際はさまざまな人のつながりでできている部分を、バグジーに集約している。映画の彼の台詞は「アメリカの夢を見つけたんだ」。そして「町の全てを作れば、我々が統治できる」。
 

実際のベンジャミン”バグジー”シーゲルの衝撃ドラマ 


 バグジーの意味は害虫、ばい菌という意味で、本人自身はこの呼び方を嫌っていたという。元々はニューヨークでも知られた切れ者のマフィアだったが、勢力拡大のために、西海岸にやってきて、ロサンゼルスのハリウッドでヴァージニア・ヒルと出会う。その後、ラスベガスにリゾート付きカジノホテルを建設する……という実話を、ロマンス要素も濃厚に当時の空気感を閉じ込めたスタイリッシュな作品に仕上げている。実際のバグジーは、禁酒法時代には、かの有名なギャング、ラッキー・ルチアーノのマフィア組織設立にも関わり、ハリウッドでは実際に組合ストなどにかかわって、ケーリー・グラントやハンフリー・ボガートなどスターとも付き合い、数多くの女優と浮名を流した。

 1946年12月26日に開業したフラミンゴ・ホテルだが、元々は資産家のビル・ウィルカーソンが銀行やハワード・ヒューズ(映画『アビエイター』の主人公で謎多き大富豪。ラスベガスの近代化に大きく影響した)から資金を調達して建設を進めていたが、賭博ビジネスに失敗して建設が中断。そこに資金を出して3分の2の権利を取ったのがバグジーのニューヨーク時代の仲間、伝説のマフィア、マイヤー・ランスキーだ。ちなみに、この映画ではベン・キングズレーが演じており、映画「ゴッドファーザー』に出てくるハイマン・ロスのモデルで、リチャード・ドレイファス主演で映画「ランスキー」にもなっている。資金はニューヨークのマフィア仲間からかき集めた。ウィルカーソンのアイデアは、スパやフィットネス、高級レストラン、ジュエリーショップ、ナイトクラブなどを兼ね備えたヨーロッパ型の豪華なホテルだった。ランスキーは建設責任者としてバグジーを抜擢し、ここにドラマは始まった。フラミンゴはヴァージニア・ヒルの愛称だった。

現在のフラミンゴ・ラスベガス

 建設は1945年11月に始まったが、戦争の影響で建設資材が高騰し、闇市場にカモにされるなど苦戦、バグジーは旧知のハリウッドの撮影スタジオから資材やパイプを調達したりした。建設デザインも当初のウィルカーソンの欧風からバグジーの趣味でハリウッド的なデコラティブなものに変えていき、今も残る熱帯植物園などが生まれ、ラスベガス初の全館エアコンも導入された。

 家具や大理石などにも凝りに凝り、建設費は予算の4倍の400万ドルに膨れ上がり、ショートした資金を集めるために、ランスキーやバグジーは金策に走り、FBI長官のフーヴァーとの戦いなどもあった(レオナルド・ディカプリオは先に出た『アビエイター』でハワード・ヒューズを演じたが、『J・エドガー』ではエドガー・フーヴァーFBI長官も演じている)。その後も生産統制局から工事凍結を命じられたりしたが(第二次世界大戦の終戦直後で、帰還兵の住宅用資材の確保などをしていた)、ついにオープンにこぎつけた。しかし、出だしは天候不良もあって最悪で、宿泊施設も未完成。2週間で30万ドルの赤字を出して休業、1947年3月に再開業した。その後は客足も伸びたが、4月の段階で総建設費は予算を500万ドルオーバーした600万ドルに達し、資金を出していたマフィアたちのバグジーへの不信も頂点に達していたが、5月には黒字報告をして驚かせた、という。

 しかし、1947年6月20日、ビバリー・ヒルズのヴァージニア・ヒル邸でバグジーは殺し屋に襲われ、M1カービン銃で銃撃され絶命した。

 事件の真相は闇に包まれている。ランスキーの下で、フラミンゴではアシスタントを務めたモー・セドウェイが犯人であるとか(彼やモー・ダリッツ、ガス・グリーンバウムなどの当時の有名人の名前から映画『ゴッドファーザー』に出てくるラスベガスのカジノ王、モー・グリーンの名前が作られたとみられている。むしろ、モー・グリーン自体のモデルがバグジーとみる人もいる)、ニューヨークマフィアやシカゴアウトフィットといった組織による粛清であるとか、諸説あるが定説はまだない。

 フラミンゴ・ホテルは、1948年にはモー・セドウェイやガス・グリーンバウムらニューヨークマフィアの経営に移り大成功を博した。それまでのカジノの主流だったヨーロッパ式の高級志向から大衆低価格路線に戦略を変更したのが当たったのだ。この成功を見て、様子見をしていたニューヨークマフィアが続々とラスベガスに大型ホテルをオープンしたのがラスベガスにとっての一つのジャンプ台になった。この辺りは『ゴッドファーザー』でも細かく描写されているところだ。

 現在のフラミンゴ・ホテルはシーザーズ・エンターテインメントが運営しており、フラミンゴ・ラスベガスと呼ばれている。映画のラストは「600万ドルで始まったバグジーの夢は、1991年までに1000億ドルの収入をもたらしている」という言葉とともに、現在のラスベガス、フラミンゴ・ホテルの映像で終わる。
 
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バグジー (字幕版)

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