【IR映画ガイド】その危うさをきちんと理解しておくことが、健全なIR作りの土台となる「カジノ」 (1/2)

塚田正晃(KADOKAWA)

連載7回目は、マーティン・スコセッシ監督がロバート・デ・ニーロの主演で描いた「カジノ」。舞台はマフィアに支配された暗黒時代が終焉を迎えようとしていたラスベガス。JaIR的には最初から最後まで、全編通じて学ぶことだらけの、真っ先に観ておきたい作品だ。*ネタばれあり

「カジノ」(1995年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv10390/

 

世界一厳しいと言われるネバダ法を洗練させることになった男の物語

 IRは一般的に「カジノを含む統合型リゾート」と訳される。残念ながら「カジノ」と言う言葉には、マフィア、不正、暴力、麻薬、売春、搾取、汚職、依存症…といったネガティブ・ワードが常につきまとう。1945年〜1980年頃まで、マフィアがラスベガス=カジノに強い影響力を持っていたためだが、それを描いてきた多くのギャング映画がイメージを増幅し拡散してきた影響も大きい。今回はそんなイメージを決定づけた作品のひとつ、マーティン・スコセッシ監督のその名もずばり「カジノ」だ。スクリーンに映し出される世界はネガティブ・イメージそのものだが、すでに半世紀近くも前の話で、いまもこの状態が続いているわけではない。逆説的に言えば、マフィアが次々に仕掛けてきた不正行為に、ひとつひとつ丁寧に対処してきたことで、ネバダ法と呼ばれる世界で最も厳格なカジノのルールが整備されてきたとも言える。だからと言って完璧に綺麗なものになっているから安全だ、と言うつもりもないが、確実に健全な状態になってきていることは間違いないだろう。当時の状況と現在の状況、その違いをきちんと整理して理解しておくことが、健全な日本型IRに向けた準備になるはずだ。
 
 この映画はネバダ法を洗練させた最強の反面教師と言われる、フランク・“レフティ”・ロゼンタールの物語。映画の中ではサム・“エース”・ロスティーンとして描かれているが、原作となった「小説版・カジノ」には実名で描かれている。小説の冒頭には謝辞として70名近い協力者の名前が挙げられており、それだけの証言を集め、積み重ねて出来上がった作品であることが示されている。その中にはレフティ本人や彼の弁護士オスカー・グッドマンの名前もある。ちなみにグッドマンは映画の中にも本人役として出演している。その一方で主要な人物の大半は口封じのために粛清され、すでにこの世にはいなかったため、多くの重要な真実は未だ闇の中なのかもしれない。
 
 「小説版・カジノ」を書いたニコラス・ピレッジはそのまま映画の脚本も担当しているので、原作というよりはむしろ脚本を書くために集められた証言集といった方が良いかもしれない。実話を元にした作品の映像化に向けては、名前をはじめとした設定を少しだけ変えることがよくある。現実をそのまま再現したわけではないということを示し、脚本の自由度を高めることが主な目的だが、登場人物が健在な場合は、名誉毀損等の訴訟リスク回避のためにも必要な対策となってくる。この映画に限っていえば「誰かが消されないように」という配慮が大きいのかもしれない。どの程度の脚色が施されているかは映画によってまちまちだが、「カジノ」に関しては大筋で現実に起きたことをトレースしていると考えて良さそうだ。…とすれば、映画の時代背景的なもの、つまりカジノをめぐるマフィアと規制当局の戦いの歴史を把握しておくことで格段と理解が深まる。まずはその辺りを簡単に整理しておこう。
 
古き良き時代のラスベガス大通り。まだカジノを伴わないモーテルも多数集まっていたようだ
 

ラスベガスにおけるマフィアと規制当局の戦い

 1931年:ネバダ州はギャンブルを合法化する。もちろんこれは「ギャンブルをしても良いですよ」と州が解禁したという単純な話ではない。1800年代、この地がゴールドラッシュで賑わっていた頃から、非合法な博打は盛んに行われ、事実上黙認されてきた。ここから税収を上げることを目論んだ州が、「ちゃんと免許を取って税金を納めればギャンブルをしても良いですよ」というルールを作ったのだ。裏を返せば、免許を持たない者による、税金を払わないギャンブルは明確に非合法とされ、厳しい取締りの対象となった。
 
 1946年:ここに目をつけたのがニューヨークやシカゴのマフィアだ。マフィアによる最初の大型投資となったフラミンゴ・ホテルがこの年オープンしている。開業前後の様子は映画「バグジー」に詳細に描かれているし、「ゴッドファーザー」もこの時代の話から始まっている。これを皮切りに、表面的には合法的でクリーンな人と金を集め、次々に大型のカジノ・ホテルを作り上げていった。規制当局も裏にマフィアがいることは承知しつつも巧妙な買収テクニックや脅迫に翻弄され、完全にコントロールすることは難しかったようだ。結果論だが、この時期に徹底的にマフィアを排除していたら大きな資金は投入されず、現在のラスベガスの繁栄は無かっただろうと言う人もいる。
 
 1961年:ジョン・F・ケネディ大統領の実弟、ロバート・ケネディが司法長官に就任。同時に全米で徹底的なマフィアの取り締まりが始まる。カジノが大きな資金源になっていることも突き止め、ラスベガスのマフィア一掃作戦が計画されたが、ジョン・F・ケネディ暗殺事件の影響か作戦の実行には至らなかった。
 
 1966年:航空業界で成功を収めた大富豪ハワード・ヒューズがラスベガスのホテルに定住。滞在していたデザート・インから部屋の移動を求められ、ホテルごと買い取る。ここから、ラスベガスの大規模な買収が始まり、ホテルに限らず空港から放送局まで、たった1年でラスベガスの1/5を買収したとまで言われている。ヒューズのような有力な経営者が参入してくることを歓迎した州政府は、彼の求めに応じて大幅な法改正と整備を進め、大企業の参入を容易にした。一般的にはマフィアを排除して街を浄化したとされているが、20年に渡って巧妙に作られてきたマフィア支配の構図はそう簡単に覆るものでも無かったようだ。とはいえマフィアの排除に向けた貴重な一石を投じたことは間違いないだろう。