前週は「真夏のIR映画座談会」と題し、統合型リゾート(IR)に関する映画の楽しみ方をご紹介したが、映画連載第11回目となる今回は、ラスベガスでのエルヴィス・プレスリー常設公演の貴重な映像をまとめたドキュメンタリー映画「エルヴィス・オン・ステージ」を取り上げる。エルヴィスの公演は、現在の有名アーティストによるIRでの常設公演の原型で、初期の成功例として知られる。当時の常設公演の雰囲気やエンターテインメントの在り方を知るのに、うってつけの映画だ。
「エルヴィス・オン・ステージ」(1970年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv1177/
「エルヴィス・オン・ステージ(スペシャル・エディション)」(2000年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv40964/
ちょうど8月16日はエルヴィス・プレスリーの命日。1954年の衝撃的な登場以来、エルヴィスはロックンロールで時代を変えたアメリカンヒーローであり、「キング・オブ・ロック」として、世界の音楽史に燦然と輝く存在である。8月は彼の偉業を振り返るにふさわしい季節だ。まずは、映画を紹介する前に、エルヴィスのラスベガス常設公演がどのような経緯で行われることになったのか、歴史を紐解いていこう。
カジノホテルを彩るエンターテインメントとして、ラスベガスで有名人による「レジデンシー・ショー」と呼ばれるコンサート形式が行われ始めたのは1940~50年代のことだ。レジデンシー・ショーは、各地をミュージシャンが巡業するツアー形式ではなく、契約した一定期間、決まった劇場でコンサートをし続けることで、「常設公演」とも呼ばれる。この常設公演は、ラスベガスでカジノホテルと結びついて発展した。
具体的には、スターのコンサートを毎日のように同じ場所で行うことで、ホテルは公演目当ての客を集め、公演以外にも宿泊、飲食、ギャンブルなどにお金を使ってもらい収益をあげる。看板スターを抱えるのだから、ホテルの宣伝効果も高い。公演の特別席のチケットを手配して、VIP客の囲い込みにも使える。また、スターは、まとまった契約金が手に入り、日々の移動による負担もなく、慣れた会場でパフォーマンスできる。そして、観客は公演のついでにホテル滞在を楽しめる。有名なところでは、サンズ・ホテル(当時)で1955年より行われたフランク・シナトラのショーから、現代のセリーヌ・ディオン(2007年に終了)やレディー・ガガに至るまで、この形式が続けられている。
中でも伝説的に語られるラスベガスでの常設公演は、インターナショナル・ホテル(後に買収されヒルトン・ラスベガスとなる)でのエルヴィス・プレスリーによるショーである。彼のキャリアの円熟期にあたる1969年から1976年まで行われ、チケットはすべて完売。ライブや舞台裏の様子は記録され、ドキュメンタリー映画「エルヴィス・オン・ステージ」では1970年の公演が見られる。
このエルヴィスの常設公演は、いくつかの巡り合わせで実現した。まずは、実業家カーク・カーコリアン氏による巨大リゾートホテルの建設だ。1967年にカーコリアン氏はラスベガス・パラダイス通りの82エーカー(約33ヘクタール)の土地を500万ドル(当時のレートで18億円)で購入。建築家マーティン・スターン・ジュニア設計による、当時世界最大の客室数1,568室を誇る「インターナショナル・ホテル」を建設していた。上から見てY字型となる30階建てのホテルのデザインは当時としては画期的で、その後の大型リゾートにも影響を与えたと言われる。ホテルには巨大で豪華な劇場も建設されていた。
一方のエルヴィスは、1954年のデビュー後、音楽活動だけでなく映画にも主演し、徴兵による陸軍入隊前の1958年までに4作を公開。1955年よりマネジメントを担うトマス・アンドリュー・"トム"・パーカー大佐(通称:パーカー大佐 ※注1)は、ハリウッド映画とそのサントラ盤による新しい音楽ビジネスに勝機を見出し、陸軍除隊後の1960年に配給会社数社と長期に渡る出演契約を締結した。1969年に契約が切れるまで、エルヴィスは年間3本ペースで映画出演し、サントラ盤を出し続けることになった。この間、ライブは開催していなかった。量産された映画は、設定は異なるものの、筋立ては似ており、音楽的な自由も少なく、次第にエルヴィスは不満を募るようになったという。
その中で転機となったのが、1968年6月に収録され、同年12月に放送されたテレビ局NBCによるエルヴィスの音楽特番であった。放送は、瞬間最高視聴率約72%という驚異的な数字を記録。この収録で、ライブを行いたいというエルヴィスの思いが強まり、パーカー大佐は、映画契約終了後に彼がステージに戻るための調整に入った。ホテル、エルヴィス、それぞれの歯車が噛みあい、ラスベガスでの公演の話がまとまるのである。
1969年2月26日、ホテルの建設現場で、エルヴィスはメディア向けに公演の契約締結を行っている。ヘルメットを着用したホテル社長のアレックス・シューフィー氏とエンターテインメント・ディレクターのビル・ミラー氏に囲まれて、長いネッカチーフを揺らしながら契約書にサインをするエルヴィス(彼はヘルメットは着用せず、お決まりの髪型で登場)の姿が宣伝映像として残っている。もちろんこれは正式契約ではなく、実際の契約は同年4月15日に行われた。そして、1969年7月31日、伝説の常設公演が幕を開ける。
ちなみにインターナショナル・ホテルはエルヴィス公演前の7月2日にオープンした。約2,000人収容の巨大なショー施設「Showroom Internationale」で最初に公演を行ったのは、実はエルヴィスではなく、後に映画「追憶」や「スター誕生」でも知られる歌手のバーブラ・ストライサンドであったことを付け加えておく。
※注1:トマス・アンドリュー・"トム"・パーカーは、アメリカへ密入国した後に使用した名前で、オランダでの出生名とは異なる。また、ルイジアナ州知事の選挙に貢献したため「名誉大佐」の称号を与えられ、以後「大佐」を名乗っていた。
数多くのラスベガス公演のうち、1970年8月公演の模様を記録したのが、前述の映画「エルヴィス・オン・ステージ」である。同じ年のうちに映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)によって劇場公開された。映画は1970年のオリジナル劇場版の他、公開から30年後の2000年に公開されたスペシャルエディションが存在する。スペシャルエディションは、MGMライブラリの権利を保有していたターナー・エンターテインメントにより、フィルム修復と一部再編集がなされたもので、音質はオリジナルに比べ向上。日本では少し遅れて、2004年に公開された。現在、スペシャルエディションは、Amazonプライムでのレンタル配信、またブルーレイやDVDでも見ることができ、パッケージの2枚組ではオリジナルと見比べることも可能だ。
映画本編は、ステージの模様はもちろん、リハーサルなどの舞台裏、劇場周辺での観客の様子などが収められた貴重な映像で構成されている。綿密なリハーサルで見せた音楽へのこだわり、コーラス隊との会話から垣間見える人柄など、ステージが始まる前から見所ばかりである。バンドやコーラスは一流揃いで人数が多い。大規模な編成が可能なのも常設公演の利点だと気付かされる。
ステージが始まると、まばたきする暇がないくらいだ。映画のどこを切り取っても感じられるのは、エルヴィスの圧倒的なパフォーマンスによるカリスマ性。時代を超えた魅力があり、ファンならずとも、IRのエンターテインメントを知りたい人にとって必見である。歌と音楽はすばらしく、彼の一挙手一投足に惹き付けられる。
デビュー当初は、若者から熱狂的に受け入れられた一方、大人たちからは不道徳だと見なされることもあったが、ラスベガス公演頃には誰もが認めるスターであった。映画では、本物のエルヴィスを目の当たりにして、嬉しさのあまり泣いている若い女性たちに混ざって、老齢の男性たちも歓喜する姿が見られるのが印象的だ。エルヴィスは歌いながら、ステージを降りて会場を練り歩き、もみくちゃになりながらファンとキスや抱擁を交わし、現代では考えられないほどの親密さでショーを続けるのだ。
世界中から観光客を集めるラスベガスでのエンターテインメントは、誰もが生で見たいと思う、世代を超えて楽しめるコンテンツが求められるのが常だ。エルヴィスのライブは、ラスベガスがエンタメの中心地だと示す、これ以上のないものだった。常設公演の成功は彼の類まれな才能によるものだが、現在のIRでのエンターテインメントも根本は同じで、重要なのはライブでいかに人の心をつかむことができるかに尽きると思い知らされる。
そして、当時、幸運にも公演のプラチナ・チケットを手にした人々だけでなく、チケットを買えない人々が、映画を通して公演を追体験できるようになっていたことも画期的であった。公演時のエルヴィスグッズ販売でも相当な額を売り上げたという。まさにエルヴィス公演は、ライブ・エンターテインメント・ビジネスの最先端であった。
「エルヴィス・オン・ステージ」(1970年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv1177/
「エルヴィス・オン・ステージ(スペシャル・エディション)」(2000年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv40964/
エルヴィスのラスベガス常設公演はなぜ実現したのか?
ラスベガスを象徴するスターの筆頭は、今もエルヴィス・プレスリーだろう。1977年に42歳という若さで亡くなってから、今年で43年が経つが、近年もラスベガスのストリップやダウンタウンでは、エルヴィスのそっくりさんが路上ライブを行い、また街歩きの案内役として、彼のトレードマークであるジャンプスーツを着た人が闊歩していたものだ(コロナ禍以前の話である)。ちょうど8月16日はエルヴィス・プレスリーの命日。1954年の衝撃的な登場以来、エルヴィスはロックンロールで時代を変えたアメリカンヒーローであり、「キング・オブ・ロック」として、世界の音楽史に燦然と輝く存在である。8月は彼の偉業を振り返るにふさわしい季節だ。まずは、映画を紹介する前に、エルヴィスのラスベガス常設公演がどのような経緯で行われることになったのか、歴史を紐解いていこう。
カジノホテルを彩るエンターテインメントとして、ラスベガスで有名人による「レジデンシー・ショー」と呼ばれるコンサート形式が行われ始めたのは1940~50年代のことだ。レジデンシー・ショーは、各地をミュージシャンが巡業するツアー形式ではなく、契約した一定期間、決まった劇場でコンサートをし続けることで、「常設公演」とも呼ばれる。この常設公演は、ラスベガスでカジノホテルと結びついて発展した。
具体的には、スターのコンサートを毎日のように同じ場所で行うことで、ホテルは公演目当ての客を集め、公演以外にも宿泊、飲食、ギャンブルなどにお金を使ってもらい収益をあげる。看板スターを抱えるのだから、ホテルの宣伝効果も高い。公演の特別席のチケットを手配して、VIP客の囲い込みにも使える。また、スターは、まとまった契約金が手に入り、日々の移動による負担もなく、慣れた会場でパフォーマンスできる。そして、観客は公演のついでにホテル滞在を楽しめる。有名なところでは、サンズ・ホテル(当時)で1955年より行われたフランク・シナトラのショーから、現代のセリーヌ・ディオン(2007年に終了)やレディー・ガガに至るまで、この形式が続けられている。
中でも伝説的に語られるラスベガスでの常設公演は、インターナショナル・ホテル(後に買収されヒルトン・ラスベガスとなる)でのエルヴィス・プレスリーによるショーである。彼のキャリアの円熟期にあたる1969年から1976年まで行われ、チケットはすべて完売。ライブや舞台裏の様子は記録され、ドキュメンタリー映画「エルヴィス・オン・ステージ」では1970年の公演が見られる。
このエルヴィスの常設公演は、いくつかの巡り合わせで実現した。まずは、実業家カーク・カーコリアン氏による巨大リゾートホテルの建設だ。1967年にカーコリアン氏はラスベガス・パラダイス通りの82エーカー(約33ヘクタール)の土地を500万ドル(当時のレートで18億円)で購入。建築家マーティン・スターン・ジュニア設計による、当時世界最大の客室数1,568室を誇る「インターナショナル・ホテル」を建設していた。上から見てY字型となる30階建てのホテルのデザインは当時としては画期的で、その後の大型リゾートにも影響を与えたと言われる。ホテルには巨大で豪華な劇場も建設されていた。
一方のエルヴィスは、1954年のデビュー後、音楽活動だけでなく映画にも主演し、徴兵による陸軍入隊前の1958年までに4作を公開。1955年よりマネジメントを担うトマス・アンドリュー・"トム"・パーカー大佐(通称:パーカー大佐 ※注1)は、ハリウッド映画とそのサントラ盤による新しい音楽ビジネスに勝機を見出し、陸軍除隊後の1960年に配給会社数社と長期に渡る出演契約を締結した。1969年に契約が切れるまで、エルヴィスは年間3本ペースで映画出演し、サントラ盤を出し続けることになった。この間、ライブは開催していなかった。量産された映画は、設定は異なるものの、筋立ては似ており、音楽的な自由も少なく、次第にエルヴィスは不満を募るようになったという。
その中で転機となったのが、1968年6月に収録され、同年12月に放送されたテレビ局NBCによるエルヴィスの音楽特番であった。放送は、瞬間最高視聴率約72%という驚異的な数字を記録。この収録で、ライブを行いたいというエルヴィスの思いが強まり、パーカー大佐は、映画契約終了後に彼がステージに戻るための調整に入った。ホテル、エルヴィス、それぞれの歯車が噛みあい、ラスベガスでの公演の話がまとまるのである。
1969年2月26日、ホテルの建設現場で、エルヴィスはメディア向けに公演の契約締結を行っている。ヘルメットを着用したホテル社長のアレックス・シューフィー氏とエンターテインメント・ディレクターのビル・ミラー氏に囲まれて、長いネッカチーフを揺らしながら契約書にサインをするエルヴィス(彼はヘルメットは着用せず、お決まりの髪型で登場)の姿が宣伝映像として残っている。もちろんこれは正式契約ではなく、実際の契約は同年4月15日に行われた。そして、1969年7月31日、伝説の常設公演が幕を開ける。
ちなみにインターナショナル・ホテルはエルヴィス公演前の7月2日にオープンした。約2,000人収容の巨大なショー施設「Showroom Internationale」で最初に公演を行ったのは、実はエルヴィスではなく、後に映画「追憶」や「スター誕生」でも知られる歌手のバーブラ・ストライサンドであったことを付け加えておく。
※注1:トマス・アンドリュー・"トム"・パーカーは、アメリカへ密入国した後に使用した名前で、オランダでの出生名とは異なる。また、ルイジアナ州知事の選挙に貢献したため「名誉大佐」の称号を与えられ、以後「大佐」を名乗っていた。
エルヴィス公演は、IRでのライブ・エンターテインメントの先駆け
1969年の公演は成功を収め、結局、1969年ファースト・シーズン以降、1976年12月のラスト・シーズンまで7年間をラスベガス常設公演に費やすこととなった。20時30分からと真夜中の1日2回公演で、生涯で合計636回も行ったというから、そのハイペースぶりに驚く。時には真夜中の公演後に、VIPとのアフターパーティーもあったという。公演中はホテル最上階の30階にあるペントハウス、通称「エルヴィス・スイート」に宿泊し、ステージと部屋の往復で多忙な日々を過ごしていた。数多くのラスベガス公演のうち、1970年8月公演の模様を記録したのが、前述の映画「エルヴィス・オン・ステージ」である。同じ年のうちに映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)によって劇場公開された。映画は1970年のオリジナル劇場版の他、公開から30年後の2000年に公開されたスペシャルエディションが存在する。スペシャルエディションは、MGMライブラリの権利を保有していたターナー・エンターテインメントにより、フィルム修復と一部再編集がなされたもので、音質はオリジナルに比べ向上。日本では少し遅れて、2004年に公開された。現在、スペシャルエディションは、Amazonプライムでのレンタル配信、またブルーレイやDVDでも見ることができ、パッケージの2枚組ではオリジナルと見比べることも可能だ。
映画本編は、ステージの模様はもちろん、リハーサルなどの舞台裏、劇場周辺での観客の様子などが収められた貴重な映像で構成されている。綿密なリハーサルで見せた音楽へのこだわり、コーラス隊との会話から垣間見える人柄など、ステージが始まる前から見所ばかりである。バンドやコーラスは一流揃いで人数が多い。大規模な編成が可能なのも常設公演の利点だと気付かされる。
ステージが始まると、まばたきする暇がないくらいだ。映画のどこを切り取っても感じられるのは、エルヴィスの圧倒的なパフォーマンスによるカリスマ性。時代を超えた魅力があり、ファンならずとも、IRのエンターテインメントを知りたい人にとって必見である。歌と音楽はすばらしく、彼の一挙手一投足に惹き付けられる。
デビュー当初は、若者から熱狂的に受け入れられた一方、大人たちからは不道徳だと見なされることもあったが、ラスベガス公演頃には誰もが認めるスターであった。映画では、本物のエルヴィスを目の当たりにして、嬉しさのあまり泣いている若い女性たちに混ざって、老齢の男性たちも歓喜する姿が見られるのが印象的だ。エルヴィスは歌いながら、ステージを降りて会場を練り歩き、もみくちゃになりながらファンとキスや抱擁を交わし、現代では考えられないほどの親密さでショーを続けるのだ。
世界中から観光客を集めるラスベガスでのエンターテインメントは、誰もが生で見たいと思う、世代を超えて楽しめるコンテンツが求められるのが常だ。エルヴィスのライブは、ラスベガスがエンタメの中心地だと示す、これ以上のないものだった。常設公演の成功は彼の類まれな才能によるものだが、現在のIRでのエンターテインメントも根本は同じで、重要なのはライブでいかに人の心をつかむことができるかに尽きると思い知らされる。
そして、当時、幸運にも公演のプラチナ・チケットを手にした人々だけでなく、チケットを買えない人々が、映画を通して公演を追体験できるようになっていたことも画期的であった。公演時のエルヴィスグッズ販売でも相当な額を売り上げたという。まさにエルヴィス公演は、ライブ・エンターテインメント・ビジネスの最先端であった。