【IR映画ガイド】カジノのゲームとセキュリティの裏側を知る「ラスベガスをぶっつぶせ」 (1/2)

二上葉子

 統合型リゾート(IR)を学ぶ映画連載の第14回目となる今回は、ラスベガスで実際に起こったギャンブル事件を題材にした映画「ラスベガスをぶっつぶせ」を取り上げる。カジノのゲームでの禁止行為で荒稼ぎした大学生たちの所業から、カジノのセキュリティや入場規制に触れる。*ネタばれあり


「ラスベガスをぶっつぶせ」(2008年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv37148/

 

実際のカジノでの事件をもとに映画化

 統合型リゾート(IR)の構成要素を語るうえで、最も特徴的で重要な点は、カジノでのギャンブルが認められていることに尽きるだろう。カジノでのプレイを目当てに、ラスベガス、マカオなどに集まる客は当然ながら多い。IRではカジノでの収益をエンジンとして全体のビジネスが成立し、カジノでの総ゲーミング収入(GGR)に応じたカジノ納付金が地元の自治体や政府などに入る仕組みであるため、カジノはIRに必要、しかし一方でカジノでの不正の取り締まり、ギャンブル依存症対策は必須という、アンビバレントな存在だ。

 そんなカジノでは大金が動くため、不正行為への取り締まりは何重にも水も漏らさぬ厳しさで行われている。しかし、その網の目をかいくぐって、大金を得ようする者も現れるのは、欲深い人間の業とでも言うべきか。

 「ラスベガスをぶっつぶせ」の事件で行われたカジノの不正行為は「カードカウンティング」と言われるものだ。カードカウンティングとは、トランプを使用してプレイするブラックジャックやポーカーなどで行われる手法で、場に出たカードをすべて記憶し、まだ配られていないカードを予測する行為のこと。予測ができればその後のゲーム展開の有利不利がわかり、大金を賭けるべきタイミングが読める。トム・クルーズとダスティン・ホフマンが出演する映画「レインマン」でもカードカウンティングが出てきたので思い出す人がいるかもしれない。本作では、ブラックジャックをターゲットに、カードカウンティングを使っての大勝負が繰り広げられる。


映画の舞台となったラスベガスの街
 

カジノのゲームは確率の世界

 カジノのゲームというと、ルーレット、トランプを使用したテーブルゲームのバカラやポーカー、ブラックジャック、サイコロを使用した大小やクラップス、その他スロットマシンなどがある。この事件でターゲットにされた「ブラックジャック」は、多くのゲームの中でもプレイヤーに唯一有利に働くことがある(あるいはカジノ側と対等)とされ、主人公たちはそれをうまく利用して、数学理論で勝とうとする。他は基本的にカジノ側が有利となる仕組みである。

 ブラックジャックの遊び方を簡単にご紹介すると、プレイヤーとディーラーの間でトランプカードを使って勝負するゲームで、プレイヤーは21を超えないように手持ちのカードの点数の合計を21に近づけていく。その点数がディーラーを上回るとプレイヤーの勝ちで、プレイヤーが21を超えてしまうとその時点で負け。プレイヤーとディーラーの双方が21、あるいは21以下の同点であれば引き分けとなる。

 点数は、カード2~10ではその数字通りの値を計算し、絵札であるK(キング)、Q(クイーン)、J(ジャック)は10と数える。A(エース)は、1と11のどちらか、都合のよい方で数えることができる。ゲームは、まずチップの賭け(ベット)を行い、ベットが終わるとディーラーがカードを自分自身を含めた参加者全員に2枚ずつ配る。ディーラーのカードの向きは、1枚は表、1枚は裏で、プレイヤーは裏となったカードを想像しつつ、カードを引き、手持ちのカードの点数を21に近づけていくことになる。

 ブラックジャックはとにかくこの「21」という数字が重要で、映画の原題も「21」。ゲームはカードを引いていく単純なものながら、ディーラーのカードの合計がどうなっているのか、自分のカードは次に何がきたら有利となるのかなど考えるべき要素が多く、奥が深い。ちなみに映画には原作本があり、原作タイトルは「Bringing Down The House」で、「カジノを破滅させる」の意味と「大喝采を博す」という意味が込められている。映画の邦題は原作本のオリジナル・タイトルに由来する。

 映画は、天才的な数学能力を持つマサチューセッツ工科大学生の主人公ベン(ジム・スタージェス)が、大学教授(ケビン・スペイシー)に、大学の秘密のカードカウンティングチームへスカウトされるところから始まる。当初は参加をためらうベンだったが、ハーバード大学医学部進学の学費を稼ぐため、チームに参加。カードを記憶する訓練に日々励み、記憶力と数学力をフル活用し、チームワークを駆使して、ラスベガスでのスリリングな勝負に挑んでいく。

 前半はチームで大勝負に挑み、勝ち進んでいく青春映画という感じなのだが、残念ながらやっている内容はカジノでの禁止行為。チームのメンバーを各テーブルに散らして、少額を使う一般客を装ってカードカウンティングをさせ、勝てそうなタイミングが来たら最も数字に強いプレーヤーに合図を送り、強いプレーヤーは何食わぬ顔でそのテーブルに参加して大勝ちするという手口を用いている(カードカウンティングは違法ではないが、映画の場合はかなり悪質でグレーな行為を行っている。見つかると出入り禁止になる)。物語中盤からはチームに綻びが生じ、主人公自身も大金を手にしたことで享楽的な生活に浸り、当初の目的を見失っていく有様が描かれる。

 映画を通じてよくわかるのは、ギャンブルは完全に確率の世界だということ。数学理論を駆使して確率が有利になるときを選んで賭ければ、勝つのは当然であると言える。しかし普通の人はある一定時間遊んでいれば、勝ち続けるということはないもので、本作の主人公のように同じ人がいつ来ても大勝ちするのは明らかに不審だ。そのため、主人公たちはバレないようにいくつものカジノに変装して出没。自分のキャラクター設定を様々に変えてゲームをする場面は映画の見所である。主人公たちがカジノで目の前のディーラーと次々に勝負をする中で、次第に(というか最初から目をつけられる因縁があるのだが)カジノのセキュリティとの戦いという構図が浮かび上がる。


ブラックジャックのゲームの様子