【IR映画ガイド】エルトン・ジョンを通してラスベガスのレジデンシー・ショーを学ぶきっかけとなる「ロケットマン」 (1/2)

塚田正晃(KADOKAWA)

 今回はエルトン・ジョンの半生を描いた「ロケットマン」。映画の中には統合型リゾート(IR)に直接関連するような描写は一切ない。が、ラスベガスのシーザーズ・パレスでのロングラン公演を成功させたアーティストを通して見えてくるものは多い。*ネタばれあり


「ロケットマン」(2019年 イギリス・アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv67684/

 

立て続けに公開され、比較された2作品の共通点

 日本では昨年2019年の夏に公開されたエルトン・ジョンの半生記である「ロケットマン」。その前年、2018年末に公開されて大ヒットを記録したQUEENのフレディ・マーキュリーを描いた「ボヘミアン・ラプソディ」。2人ともイギリスから出てきた世界的なシンガーでゲイ。成功のプレッシャーと孤独に押し潰され、心を病んで生活が荒れ…、それを乗り越えて復活。映画のタイトルもそれぞれの代表曲のタイトル。共通点も多く何かと比較される2本だが、実はどちらもイギリス人監督のデクスター・フレッチャーによる作品だ。

 作品の評価に関しては専門家に委ね、ここではその点には触れないが、フレディーを演じたラミ・マレックもエルトン・ジョンを演じたタロン・エガートンも2人ともに素晴らしい。フレディは亡くなっているが、QUEENの現役メンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーが音楽プロデューサーとして参加している。エルトン・ジョンは本人自ら製作総指揮に名を連ねる。本人を前に本人を演じるというのはとても難しいことだろう。しかもタロンは歌まで歌っている。半生を描いているとはいえ、誇張したり、美化したり、時系列がおかしかったり、いろいろツッコミどころも多いようだが、大筋で2人のスーパースターの足跡を追体験でき、全盛期の彼らがどれだけすごかったのか、その成功の先に何があったのか、それと引き換えに失ったものがどれだけ大きかったのか、少しでもそういったことを感じることができることは貴重だ。そしてこの2人が作ってきた楽曲がどれだけ素晴らしいか、どれだけ自分の中に浸透していたのかに気づき、改めて驚かされる。デリケートな描写の多い作品を、関係者が存命で完全に過去の話になってはいない中、いろいろな大人の事情を乗り越えてまとめ上げたということだけでも、「あっぱれ!」と叫びたい。

エルトン・ジョンとタロン・エガートン(右)
QUEENを演じたメンバーとラミ・マレック(白いスーツ)
 

のちにラスベガスIRに大きな影響を与えることになるエルトンの半生

 詳しい映画の内容やスタッフ、キャストの話題等々は専門サイトを参照していただくとして、ここでは「ロケットマン」=エルトン・ジョンとIRの関係について見ていこう。その前に、映画のあら筋のようになってしまうが、彼の経歴を簡単に紹介しておきたい。

1947年:イングランド生まれ。不安定な両親の元、家庭的にはあまり恵まれていなかったようで、この部分は映画の中でもしっかりと描かれている。そんな中、天才的なピアノの才能が見出され、11歳にして王立音楽院への入学が認められる。クラシックはもちろん、様々な音楽理論等々を習得。その後それらをベースにバンド活動を始める。

1970年代:68年にレコードデビューした後、70年にリリースされた「Your Song(邦題:君の歌は僕の歌)」が大ヒット。その後立て続けにヒット曲を連発し、世界中でエルトン・ブームを巻き起こす。日本でも大人気となり、この曲をピアノで弾いて歌えるようになって、女子にモテたいと思う若者が続出した。現在60代になっている先輩たちには心当たりがあるはずだ。それより下の世代には「派手なメガネをかけた陽気なパフォーマー」という認識しかない人も多いようだが、この映画を観ると美しいバラードからノリノリのロックまで、どれも聞き覚えのある曲ばかりで、当時のエルトンがどれだけ素敵だったのかがよくわかる。

1980年代:70年代後半から信じられないくらいの煌びやかな成功と、その裏に生じたどうしようも無い孤独とのギャップから来る心の葛藤とともに不安定な時期を迎える。映画に中心的に描かれているのもこの時期。デビュー以来共同制作を続けてきた親友でもある作詞家のバーニー・トーピンとのコンビを解消したり、苦楽を共にしてきたバンドメンバーやスタッフたちと袂を分かったり、自殺行為を行ったり、バイセクシャルであることを突然公表したり、…そんな錯乱期を迎える。84年にはドイツ人女性と結婚するが4年後には離婚している。80年代後半にかけてアルコール依存、薬物依存、過食症、買い物依存が激しさを増していく。

1990年代:映画の冒頭から繰り返し出てくる更生施設を経てカムバック。仲間との繋がりも回復。映画はこの辺りで終了するが、その後94年にはディズニーのアニメ映画(後にブロードウェイミュージカルになり今なお大ヒット中)「ライオンキング」に、主題歌他の楽曲を提供。97年には事故で亡くなったダイアナ妃を追悼するために、セルフリメイクされた「キャンドル・イン・ザ・ウィンド 1997」(原曲はマリリン・モンローに捧げるとして1973年にリリースされている)が世界中で史上空前の大ヒットを記録する。


2015年リオデジャネイロ公演。再び輝きを取り戻したエルトン

 こうして2000年代に入り、やっとIRとの関係が始まる。エルトンが60歳を迎える直前、2004年からラスベガスのシーザーズ・ホテルでのレジデンシー・コンサートがスタートしたのだ。

 

IRの魅力を際立たせるレジデンシー・コンサート

 一般的にミュージシャンのライブ公演は一つのプログラムが完成すると、それを持って様々な場所にツアーとして回っていく。これに対して一箇所に留まり長期にわたって同じ場所で常設公演を続ける形をレジデンシー・コンサート(単純にレジデンシーとも)と呼ぶ。レジデンシー・ショーというとデビッド・カッパーフィールドに代表されるマジックショーや、シルク・ドゥ・ソレイユ等々も含まれてくる。

 ラスベガスやブロードウェイのようにひっきり無しに多くのお客さんが押し寄せ、次々に入れ替わっていく場所でしか成立しない形だが、ラスベガスではすでに40年代に常設公演が始まっている。最初のレジデンシーとされているのは、ピアニストでシンガーのリベラーチェがリビエラ・ホテルで始めたものだ。ちなみに「ロケットマン」の中で、ゲイであることを伝える電話が鳴る直前、母親が観ていたテレビ画面にリベラーチェが映っている。音楽家としても彼をリスペクトしているエルトンの色々な思いが込められたショットのような気がしてならない。50年代にはサンズ・ホテルでフランクシナトラが、ラット・パックと呼ばれる仲間たちと定期的に公演を行い話題を集める。70年代には円熟期を迎えたエルヴィス・プレスリーがインターナショナル・ホテル(買収後はラスベガス・ヒルトン)で7年間、600回以上もの公演を行い2,000人収容のホールを連日埋め続けた。大成功したこのスタイルが、現在に至るレジデンシーの原型となっているのだが、この辺りは本連載の第11回「エルヴィス・オン・ステージ」に詳しく紹介されている。

 数あるカジノホテルの中で施設の価値を高め、存在を際立たせ、客をカジノに呼び込む仕掛けが欲しいホテル側の思惑でいえば、施設の顔となるレジデント・パフォーマーはBIGであればあるほど良い。ミュージシャン・サイドの視点に立てば、過酷な移動を伴うツアーよりも、同じ場所に腰を据えられてしかも高額な契約金を得られるレジデンシー公演は魅力的だ。こうした保守的な意味合いから、落ち目の人気歌手がカジノの客寄せを担い、最後の一稼ぎをする場所と揶揄されることもあった。が、そのイメージは、21世紀に入り一変する。

 1997年に映画「タイタニック」の主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」で世界的なヒットを飛ばし、人気絶頂期にあったセリーヌ・ディオンをシーザーズが口説き落とす。彼女のために2003年には1億ドル(当時のレートで約120億円)以上のコストをかけて、4,200人収容の新たなホール「コロシアム」を作ってしまう。当初3年程度の契約だったが昨年の最終公演まで、合計13年間で1,141回、合計450万人を動員し、7.7億ドル(約920億円)を売り上げている。これは金額でも動員でも公演回数でも、全米のレジデンシー・コンサートの圧倒的ナンバー1記録となっている。

セリーヌ・ディオン推しのシーザーズ ホテル


コロシアム内部の様子