統合型リゾート(IR)の舞台をめぐる映画連載第8回目は、ボクシングの聖地ラスベガスの有名アリーナの変遷がよくわかる、映画「ロッキー」シリーズを紹介する。*ネタばれあり
「ロッキー3」(1982年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv9775/
「ロッキー4/炎の友情」(1985年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv9776/
「ロッキー・ザ・ファイナル」(2006年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv36129/
主演シルベスタ・スタローンの出世作にして、ボクシング映画の金字塔である「ロッキー」シリーズは、アメリカ・フィラデルフィアの無名ボクサーが世界チャンピオンになるというヒロイックで熱い映画。テーマソングは間違いなくどこかで耳にしたことがあるはずだ。シリーズ中、試合会場として、たびたびボクシングの聖地ラスベガスが登場する。実はこのラスベガスの会場はいずれもIRの中にある。シリーズを通して、ラスベガスIRにある有名ボクシング会場の変遷を追ってみたい。
劇中でラスベガスが登場するのは3回。3作目、4作目とファイナルだ。2作目で宿敵で後に親友となるアポロ・クリード(カール・ウェザース)との激闘の末、ヘビー級の世界王者となったロッキー。地元フィラデルフィアの一ボクサーにすぎなかった彼が世界王者となり、「ロッキー3」(1982年)の冒頭では、世界王者として防衛戦を重ね、時代の寵児としてメディアでもてはやされる姿が描かれる。
この防衛戦を重ねるシーンで、ラスベガスのIR「シーザーズ・パレス」のネオンロゴがほんの一瞬だけ映る。3作目のテーマソング「Eye of the Tiger」に乗せてミュージックビデオのように流れていくので、見逃してしまいそうな場面だが、ボクシングファンであれば、80年代当時のシーザーズ・パレスの特設リングで世界戦が開催されていたことを知っているので、なるほどと思う1コマだ。
続く「ロッキー4/炎の友情」(1985年)は、ソビエト連邦(当時)が生んだ最強アマチュアボクサー、イワン・ドラコ(ドルフ・ラングレン)からのロッキーへの挑発で物語は始まる。ロッキーに代わり、引退していた親友アポロの闘争心に火が付き、アポロとドラコはエキシビションマッチで対戦することになる。
この試合会場として登場するのが、ネオンきらめく当時のMGMグランド・ホテル・アンド・カジノ(現在のバリーズ・ラスベガス)だ。このエキシビションの選手入場シーンはとにかくド派手な演出で、当時のラスベガスのギラついた雰囲気に胸焼けしそうなほど。
ソ連を代表するドラコは、ステージからせり出したリングとともに登場。一方、アポロ入場では、女性ダンサーたちに囲まれ「ソウル界のゴッドファーザー」として歌手のジェームス・ブラウン本人が登場して、アメリカの生活の素晴らしさを称えた「Living In America」を熱唱。ステージでは、星条旗模様の衣装を身に着けたアポロが、巨大な牛が鼻息を出すセットの前に立ち、観客の度肝を抜く。対戦前の過剰な演出にドラコはあ然とした顔だ。
シリーズを最初から見続けていると、アポロが急にエンターテイナー化して、何とも不思議な場面なのだが、4作目のテーマは「冷戦」。アメリカとソ連の対比を鮮やかにするための演出なのだろう。当時のアメリカらしさを体現するものが、ラスベガスの華やかなショーとはわかりやすい。会場自体も正面にステージがある劇場型で観客はディナーショーを見るかのような雰囲気。物語後半のソ連の会場とは露骨なほど対照的に描いている。
試合は、エキシビションマッチとは言え、本気で打ち負かそうと強烈なパンチを食らわすドラコに、劣勢のアポロ。結局セコンドに付いたロッキーがタオルを投げ込むことなく、アポロはKO。そのままリングでロッキーに抱えられ、息を引き取ってしまう。この悲劇が、アポロの息子アドニスをボクシングへ駆り立て、後のスピンオフシリーズ「クリード チャンプを継ぐ男」(2015年)「クリード 炎の宿敵」(2018年)に引き継がれることになる。
一方、ロッキーの1作目、2作目は映画会社ユナイテッド・アーティスツ(UA)配給だったが、UAは経営不振に陥り、1981年にカーコリアン氏率いる映画会社MGMに吸収合併された。その後の3作目(1982年)、4作目(1985年)は、UA系の続編で使用される「MGM/US」配給となった。1981年以降、映画のMGMとホテルのMGMは別会社となっていたが、いずれもオーナー・カーコリアン氏のもとでの運営であり、映画にMGMグランドが登場することも納得できる。
カーコリアン氏自身は、若い頃に「ライフル・ライト・カーコリアン (Rifle Right Kerkorian)」の名でアマチュアボクサーとして活躍したという経歴を持つ。そんなカーコリアン氏のもとラスベガス・映画・ボクシングの3者が結びついた瞬間が「ロッキー4/炎の友情」であった。
撮影後、1985年にはMGMグランド・ホテル・アンド・カジノは売却され、名前は「バリーズ・ラスベガス」に変わった。一方、MGMグランドの名は、マリーナホテル跡に新たに建てられた1993年開業のホテルに引き継がれた。これが現在のMGMグランドホテルで、MGMリゾーツが運営する。また、映画会社MGMは、映画翌年の1986年には短期間、テレビ局のターナー傘下となり、さらにカーコリアン氏が買い戻すといった複雑な経緯を辿り、2004年にカーコリアン氏はソニー主導のコンソーシアムに同社を売却した(その後、同社とソニー・ピクチャーズとの契約関係も2015年に終了)。現在、映画のMGMと、MGMリゾーツとの2社の間には直接の資本関係は無い。
その後もMGMとボクシングの関係は深く、2代目のMGMグランドにある約17,000名収容の「MGMグランド・ガーデン・アリーナ」は、ボクシングやプロレスで使用される格闘技の殿堂となった。2015年には、「今世紀最大の対戦」と謳われたフロイド・メイウェザー対マニー・パッキャオ戦が行われ、300億円以上のファイトマネーが動いた。
2016年に同じくストリップ地区に「T-モバイルアリーナ」(MGMリゾーツとAEGライブが共同運営)が開業してからは、ボクシングのビッグマッチは「T‐モバイルアリーナ」に譲ることが多くなった。また、会場としては中規模になるが、2018年に村田諒太がWBA世界ミドル級王者防衛戦で闘った会場「パークMGMシアター」もある。このように、ラスベガスのボクシング会場と言えばMGMという時代が続いている。
「ロッキー3」(1982年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv9775/
「ロッキー4/炎の友情」(1985年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv9776/
「ロッキー・ザ・ファイナル」(2006年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv36129/
「ロッキー」シリーズに見るボクシングの聖地ラスベガス
主演シルベスタ・スタローンの出世作にして、ボクシング映画の金字塔である「ロッキー」シリーズは、アメリカ・フィラデルフィアの無名ボクサーが世界チャンピオンになるというヒロイックで熱い映画。テーマソングは間違いなくどこかで耳にしたことがあるはずだ。シリーズ中、試合会場として、たびたびボクシングの聖地ラスベガスが登場する。実はこのラスベガスの会場はいずれもIRの中にある。シリーズを通して、ラスベガスIRにある有名ボクシング会場の変遷を追ってみたい。劇中でラスベガスが登場するのは3回。3作目、4作目とファイナルだ。2作目で宿敵で後に親友となるアポロ・クリード(カール・ウェザース)との激闘の末、ヘビー級の世界王者となったロッキー。地元フィラデルフィアの一ボクサーにすぎなかった彼が世界王者となり、「ロッキー3」(1982年)の冒頭では、世界王者として防衛戦を重ね、時代の寵児としてメディアでもてはやされる姿が描かれる。
この防衛戦を重ねるシーンで、ラスベガスのIR「シーザーズ・パレス」のネオンロゴがほんの一瞬だけ映る。3作目のテーマソング「Eye of the Tiger」に乗せてミュージックビデオのように流れていくので、見逃してしまいそうな場面だが、ボクシングファンであれば、80年代当時のシーザーズ・パレスの特設リングで世界戦が開催されていたことを知っているので、なるほどと思う1コマだ。
続く「ロッキー4/炎の友情」(1985年)は、ソビエト連邦(当時)が生んだ最強アマチュアボクサー、イワン・ドラコ(ドルフ・ラングレン)からのロッキーへの挑発で物語は始まる。ロッキーに代わり、引退していた親友アポロの闘争心に火が付き、アポロとドラコはエキシビションマッチで対戦することになる。
この試合会場として登場するのが、ネオンきらめく当時のMGMグランド・ホテル・アンド・カジノ(現在のバリーズ・ラスベガス)だ。このエキシビションの選手入場シーンはとにかくド派手な演出で、当時のラスベガスのギラついた雰囲気に胸焼けしそうなほど。
ソ連を代表するドラコは、ステージからせり出したリングとともに登場。一方、アポロ入場では、女性ダンサーたちに囲まれ「ソウル界のゴッドファーザー」として歌手のジェームス・ブラウン本人が登場して、アメリカの生活の素晴らしさを称えた「Living In America」を熱唱。ステージでは、星条旗模様の衣装を身に着けたアポロが、巨大な牛が鼻息を出すセットの前に立ち、観客の度肝を抜く。対戦前の過剰な演出にドラコはあ然とした顔だ。
シリーズを最初から見続けていると、アポロが急にエンターテイナー化して、何とも不思議な場面なのだが、4作目のテーマは「冷戦」。アメリカとソ連の対比を鮮やかにするための演出なのだろう。当時のアメリカらしさを体現するものが、ラスベガスの華やかなショーとはわかりやすい。会場自体も正面にステージがある劇場型で観客はディナーショーを見るかのような雰囲気。物語後半のソ連の会場とは露骨なほど対照的に描いている。
試合は、エキシビションマッチとは言え、本気で打ち負かそうと強烈なパンチを食らわすドラコに、劣勢のアポロ。結局セコンドに付いたロッキーがタオルを投げ込むことなく、アポロはKO。そのままリングでロッキーに抱えられ、息を引き取ってしまう。この悲劇が、アポロの息子アドニスをボクシングへ駆り立て、後のスピンオフシリーズ「クリード チャンプを継ぐ男」(2015年)「クリード 炎の宿敵」(2018年)に引き継がれることになる。
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ラスベガスと映画とボクシングの深い縁
ここで、ラスベガスのストリップ開発における伝説的な実業家で、大型リゾート開発のパイオニア、カーク・カーコリアン氏について少し触れたい。カーコリアン氏は1962年にストリップの土地を購入し、その後ホテル・カジノ事業で成功、1973年に有名映画会社「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)」を買収している。そして同じ年、カーコリアン氏は映画会社MGMとともに、MGMグランド・ホテル・アンド・カジノを開業し、当時世界最大のホテルとして、MGMの名をとどろかせた。一方、ロッキーの1作目、2作目は映画会社ユナイテッド・アーティスツ(UA)配給だったが、UAは経営不振に陥り、1981年にカーコリアン氏率いる映画会社MGMに吸収合併された。その後の3作目(1982年)、4作目(1985年)は、UA系の続編で使用される「MGM/US」配給となった。1981年以降、映画のMGMとホテルのMGMは別会社となっていたが、いずれもオーナー・カーコリアン氏のもとでの運営であり、映画にMGMグランドが登場することも納得できる。
カーコリアン氏自身は、若い頃に「ライフル・ライト・カーコリアン (Rifle Right Kerkorian)」の名でアマチュアボクサーとして活躍したという経歴を持つ。そんなカーコリアン氏のもとラスベガス・映画・ボクシングの3者が結びついた瞬間が「ロッキー4/炎の友情」であった。
撮影後、1985年にはMGMグランド・ホテル・アンド・カジノは売却され、名前は「バリーズ・ラスベガス」に変わった。一方、MGMグランドの名は、マリーナホテル跡に新たに建てられた1993年開業のホテルに引き継がれた。これが現在のMGMグランドホテルで、MGMリゾーツが運営する。また、映画会社MGMは、映画翌年の1986年には短期間、テレビ局のターナー傘下となり、さらにカーコリアン氏が買い戻すといった複雑な経緯を辿り、2004年にカーコリアン氏はソニー主導のコンソーシアムに同社を売却した(その後、同社とソニー・ピクチャーズとの契約関係も2015年に終了)。現在、映画のMGMと、MGMリゾーツとの2社の間には直接の資本関係は無い。
その後もMGMとボクシングの関係は深く、2代目のMGMグランドにある約17,000名収容の「MGMグランド・ガーデン・アリーナ」は、ボクシングやプロレスで使用される格闘技の殿堂となった。2015年には、「今世紀最大の対戦」と謳われたフロイド・メイウェザー対マニー・パッキャオ戦が行われ、300億円以上のファイトマネーが動いた。
2016年に同じくストリップ地区に「T-モバイルアリーナ」(MGMリゾーツとAEGライブが共同運営)が開業してからは、ボクシングのビッグマッチは「T‐モバイルアリーナ」に譲ることが多くなった。また、会場としては中規模になるが、2018年に村田諒太がWBA世界ミドル級王者防衛戦で闘った会場「パークMGMシアター」もある。このように、ラスベガスのボクシング会場と言えばMGMという時代が続いている。