ラスベガス・サンズ会長シェルドン・アデルソン氏死去

JaIR編集部

 世界有数のIR(統合型リゾート)企業、ラスベガス・サンズ創設者であり、現在の会長、CEOであり、カジノ産業を変えた実業家、世界有数の富豪としても知られるシェルドン・アデルソン氏が、非ホジキンリンパ腫の治療に伴う合併症のため、11日死去した。87歳だった。ラスベガス・サンズは、同社の会長兼最高経営責任者であるアデルソン氏の訃報を12日に発表した。アデルソン氏は世界のIRをけん引する巨人で、現在は撤退しているが日本のIRでもキーマンと見られていた。ラスベガス・サンズは先週、2019年に初めて明らかになった癌の治療を受けるために休職すると発表していたところだった。

CC BY 2.0 シェルドン・アデルソン氏。2019年6月27日、エルサレム
 

アデルソン氏はMICEを軸にしたIRビジネスの発明者だった

 アデルソン氏は1933年、ボストン生まれ。アデルソン氏の成功へのきっかけはテック系のイベントだった。フォーブスの世界長者番付で2007年には世界6番目の億万長者になったアデルソン氏は、これまでに50以上のビジネスを立ち上げているが、大きく飛躍したのは1970年代後半に友人と立ち上げたコンピュータ関連の展示会であるCOMDEXで、第1回目の展示会は1979年。1980年代~1990年代の最大級のコンピュータ展示会であり、1995年にはアデルソンと仲間はCOMDEXを含めたThe Interface Group Show Divisionを日本のソフトバンクに8億6,200万ドル(1,810億円)で売却し、アデルソン氏は5億ドル(1,050億円)以上を得たのだが、これが現在のラスベガス・サンズの基礎になっている。

 1989年、アデルソン氏と仲間はラスベガスに進出。フランク・シナトラやラット・パックの行きつけの場所として有名だったサンズ・ホテル・アンド・カジノを買収した。さらに翌年、アデルソン氏らは、サンズ・エキスポ・アンド・コンベンション・センターを建設した(最初の運営はラスベガス・コンベンションセンター〔LVCC〕で、のちにラスベガス・サンズが直営することに)。そして、1991年に、彼がハネムーンでヴェネツィアを訪れた際、巨大リゾートホテルの構想を思いつき、サンズ・ホテル・アンド・カジノを取り壊して、1.5億ドル(169億円)をかけて、ヴェネツィアをテーマとしたカジノ・リゾートである ザ・ベネチアンを1999年に開業、2003年に1,013室のスイートルームを持つ別館棟であるベネチア・タワーを開業させた。ホテルは4,049室のスイートルーム、18軒のレストランを持ち、ゴンドラのある運河のあるショッピングモールが生まれた。

 こうして、1989年~2003年にかけて、現在のMICEを中核とした統合型リゾート(IR)が、アデルソン氏によりラスベガスで発明されたのだ。サンズ・コンベンションセンターとベネチアン・パラッツォは、MICE・IRのはしりであり、大規模なITイベントで今も定番の会場だ。その後は、他のカジノも続々とコンベンション施設を強化し、ラスベガス・サンズ型のIRが広まっていった。日本政府観光局によると、MICEとは、「企業等の会議(Meeting)、企業等の行う報奨・研修旅行(インセンティブ旅行)(Incentive Travel)、国際機関・団体、学会等が行う国際会議 (Convention)、展示会・見本市、イベント(Exhibition/Event)の頭文字を使った造語で、これらのビジネスイベントの総称」。カジノとリゾート、ビジネスを融合した。

 さらに、アデルソン氏は2004年5月、マカオに9万3,000㎡のサンズ・マカオをオープン。これは、中国では初のラスベガススタイルのカジノになった。その後、2007年8月、アデルソン氏はコタイに24億ドル(約2,800億円)のベネチアン・マカオをオープン、ここを拠点に、コタイストリップと呼ばれる大規模なリゾートエリア計画を立ち上げ、フォーシーズンズ、シェラトン、セントレジスなどをオープンし、今では、他の主要なIRもこのコタイ地区に集結している。

 その後、シンガポールのカジノが解禁され、2006年5月、激しい指名争いの末、サンズはマリーナベイにカジノリゾートを建設するライセンスを許可された。こうして完成したマリーナベイ・サンズは、55億ドル(約4,500億円)ともいわれる費用をかけて、2010年にオープンし観光名所になった。日本が目指すIRとして、しばしば引き合いに出される。

 そして、日本のIRへの取り組みが発表されてからは、まずは、大阪府・市が進める夢洲の計画に手を挙げたが、その後、横浜市が参戦した後は、大阪から撤退し、横浜市で改めて手を挙げたが、昨年5月13日、「日本における統合型リゾート開発の機会を追求しないこと」と明らかにした。その際、アデルソン氏は、「統合型リゾート施設開発によって日本はビジネス及びレジャー観光市場からの恩恵を享受するであろうとも思います。しかし、日本におけるIR開発の枠組みでは私たちの目標達成は困難であると思われます。これまで日本市場参入の検討をしてきた中で様々な方々に出会え、良い関係を構築できたことに感謝しています。私たちは今後、日本以外での成長機会に注力する予定です」とコメントした。日本からの撤退表明後も、アデルソン氏は、日本への関心を四半期の発表時に触れるなどし、動向が注目されていた。

 また、アデルソン氏はドナルド・トランプ大統領の支援者としても知られ、2020年10月15日、トランプ陣営に7500万ドル(約78億7,500万円)を寄付、さらに、10月後半には、アデルソンと彼の妻は、共和党とトランプの再選を支持する3つの組織にさらに3500万ドル(約36億7500万円)を与えていた。

 ラスベガス・サンズとサンズ・チャイナは、アデルソン氏が休職中の間、ラスベガス・サンズ社長兼最高執行責任者であるロバード・ゴールドスタイン氏を両組織の会長代行兼CEO代行に指名していた。


イスラエルアメリカ評議会全国サミットでのトランプ大統領とアデルソン夫婦。2019年12月7日、ハリウッド。パブリックドメイン
 

ラスベガス・サンズからの声明

 以下、現地時間12日発表された、ラスベガス・サンズからのアデルソン氏死去に関する声明の全文を掲載する。 

「当社の創業者でありビジョンを持った指導者であるシェルドン・アデルソンは、非ホジキンリンパ腫の治療に伴う合併症のため、昨夜87歳で亡くなりました。移民の両親に生まれ、ボストンの貧しい地域で育ったアデルソン氏は、10代の頃の街角の新聞売りの少年から、世界で最も成功した起業家の一人になりました。

 彼の統合型リゾートおよびホスピタリティ業界での業績は、十分すぎるほど記録されています。ラスベガス、マカオ、シンガポールにおいて、アデルソン氏の統合型リゾートに対するビジョンは、業界を一変させ、自身が設立した会社の軌道を変革し、それぞれの市場における観光業を新しく創り変えました。 アデルソン氏が業界に与えた影響は永遠に続くでしょう。

 アデルソン氏はまた、ラスベガス・サンズ社の最初の従業員でした。 「(Team Member Number One)チームメンバーナンバーワン 」という言葉を彼は好んで言っていました。現在、5万人以上のサンズのチームメンバーが、アデルソン氏とアデルソン家全員を思い、祈りを捧げ、真の自然の力によって自分たちの人生に触れられたことに感謝しています。

 パンデミックが日常生活を混乱させ、彼のビジネスに劇的な影響を与えたときも、アデルソン氏は、世界中のチームメンバーが勤務する建物が閉鎖されても、全額の給与と医療給付を受け続けることを固辞しませんでした。 彼は自らの尽力について認知や宣伝を決して求めず、それらについて、もし尋ねられたら笑顔で答えるでしょう。

50社以上の異なる企業を立ち上げ、関与してきました。彼のビジネスの実績は疑う余地がありませんが、彼の慈善活動への献身、家族(従業員)への献身は彼の遺産となるでしょう。彼の寛大さ、優しさ、知性、そして素晴らしいユーモアのセンスに感動した世界中の人々によって、彼の死は惜しまれることでしょう。

 アデルソンファミリーとして、我々はアデルソン氏の死を悼み、プライバシーを尊重します。葬儀は(妻の)ミリアム・アデルソンの生誕地であるイスラエルで行われ、ラスベガスでの追悼式の予定は後日発表されます」
 


妻ミリアムや各界からの追悼の言葉

 アメリカのメディア、KSNVによると、以下のような追悼が寄せられている。

 アデルソン氏の妻、ミリアム氏は12日、彼女自身の声明を発表している。
「シェルドンは私の人生の最愛の人でした。彼はロマンス、慈善活動、政治活動、企業における私のパートナーでした。彼は私のソウルメイトだった」

CC BY-SA 3.0 2008年8月12日、ウッドロウ・ウィルソン賞受賞の時のシェルドンと妻のミリアム


 ラスベガスのあるネバダ州のスティーブ・シソラック州知事は以下の言葉を寄せている。
「シェルドン氏は信じて成功した男だった。そして勇敢に投資と大胆なアイデアでネバダ州を変えた」

 アメリカン・ゲーミング協会(AGA)が公表した、社長兼CEOであるビル・ミラー氏の声明。
「本日、アデルソン氏が亡くなられたことは、ゲーミングコミュニティにとって大きな損失です。ラスベガス・サンズの創設者であり会長でもあるアデルソン氏は、30年以上にわたり、真の先見性を持ち、近代カジノゲームの先駆者でした。ラスベガス、ペンシルバニアからマカオ、シンガポールに至るまで、彼の功績は忘れがたいものです。

私は、アメリカン・ゲーミング協会に入会するずっと前から、アデルソン氏とは15年以上の付き合いがありました。彼のリーダーシップと寛大さが、私にとって最も際立っています。昨年、私たちの国と業界が世界的なパンデミックに直面した際にも、コミュニティに奉仕し、従業員の幸福を最優先に考えた。この出来事ほど、彼のリーダーシップと寛大さを示す例はありません。AGAを代表して、アデルソン氏、アデルソン家、そしてラスベガス・サンズのゲーミングスタッフに心からのお悔やみを申し上げます」


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