【IR映画ガイド】超変わり種映画でラスベガスの奥深さを知る「ラスベガスをやっつけろ」「リービング・ラスベガス」 (1/2)

JaIR編集委員・玉置泰紀

 かたやアメリカ文学史に残る伝説の自伝的ドラッグ小説が描く1971年のラスベガスの映画化、かたやアルコール依存症の売れない作家の半自伝的小説が描く1980年代末のラスベガスの映画化だが、どちらの映画も高い評価とインパクトを後世に残した。いずれも、自伝的部分の主人公とともに、ラスベガス自体も主人公と言える。決して明るい映画ではなく双方とも破滅的なストーリーだが、ここにも、ラスベガスのもう一つの顔を見ることができる。*ネタバレあり


「ラスベガスをやっつけろ」(1999年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv31342/

「リービング・ラスベガス」(1996年 アメリカ)
https://movie.walkerplus.com/mv10540/

 

砂埃舞うレースの取材で訪れた1971年のラスベガスを真空パックした奇妙奇天烈な世界

 「ラスベガスをやっつけろ」の原作は、ゴンゾー・ジャーナリストとして知られるハンター・S・トンプソンの代表作で、アメリカ文学史に残る異色作である。1960年代後半に、映画にもなった「ライト・スタッフ」のトム・ウルフらがニュー・ジャーナリズムと呼ばれる客観性よりも取材対象に深く関わっていくムーブメントを生み出したが、その一人であったトンプソンがさらに過激に推し進めたのがゴンゾー・ジャーナリズムで、その記念碑的な作品が、1971年のラスベガスを舞台に砂漠のモーター・レース、ミント400を取材に来た自分自身を描いた自伝的な小説だった。ゴンゾーは「ならず者」とか「常軌を逸した」という意味で、小説に出てくる弁護士の名前でもある。ニューヨーク・タイムズ紙は、「麻薬の世界を描いたこの10年間で最高の本」、トム・ウルフは「灼熱の画期的な感覚」と称賛した。

 ミント400は1968年に、ラスベガスのカジノ、ミント・ラスベガスがプロモーションで始めた、郊外の砂漠を使ったオフロードのレース。毎年春に開催されている。当時のオーナーは、伝説的な不動産開発業者、デル・ウェッブだった。デルは、フラミンゴ・ホテルを作ったベンジャミン”バグジー”シーゲルの下で働いていたことがあり、ニューヨーク・ヤンキースの共同所有者だったこともある。ハワード・ヒューズの友人でもあった。

 最初のレースは、ラスベガスのフレモント・ストリートにあるミント・ラスベガスからスタートし、州境のタホ湖まで、約400マイル(640km)を101台の車両が走った(現在はラスベガス郊外の砂漠の中のコースを周回する)。すさまじい砂埃の中を駆け抜けていく、超ワイルドなレースだ。映画の中では、2分おきに10台づつスタートし、全部で200台のレースだった。この映画は1971年の設定なので、第4回にあたる。1988年に、ベニー・ビニオンがミント・ラスベガスを買収し、1989年を最後にレースを一度終了させたが、ネバダ州南部のオフロード愛好家グループの助けを借り、かつてはスポンサーを務めていたゼネラル・タイヤによって2008年に再開された。以来、今年まで毎年開催されており、6月18日には、2021年の3月3日から3月7日に開催されることが発表された。

 2012年には、世界最大のオフロードのデザート(砂漠)レース組織である、ベスト・イン・ザ・デザート・レーシング・アソシエーションのオーナーでオフロード界のベテラン、ケイシー・フォークスと提携し、ベスト・イン・ザ・デザート・チャンピオンシップのスケジュールに追加された。エントリー数も驚異的な323チームに膨れ上がり、ミント400は世界最大のオフロードレースの1つになった。

 ミント・ラスベガスは、フレモント・ストリートを代表するカジノになり、1971年の映画「007ダイヤモンドは永遠に」など、様々な映画に出てくる。フレモントストリートで撮影された1987年のU2のミュージックビデオ「終わりなき旅」にも出てくる。ミント400もプロモーションとして成功したが、この小説が良くも悪くもホテルの名前を知らしめたと言える。

 映画のストーリーは有って無いようなクレイジーな内容。作者のトンプソン自身がモデルのラウル・デュークをジョニー・デップが演じ、ミント400のレース取材の話を持ってくる弁護士のドクター・ゴンゾーは、ベ二チオ・デル・トロが体重を20キロ増やし、でっぷりしたお腹を見せて演じている。デップも、デル・トロのように、ラウルのモデルである作家トンプソンの実際の付き人になって仕草や癖をマスター、髪を剃って同じような禿頭にして登場する。ロサンゼルスからラスベガスにレースの取材に来るのだが、2人はレースそっちのけでドラッグで大騒ぎをし、宿泊をしているミント・ラスベガスの部屋をめちゃくちゃにした後、逃げ出す。その途中、ラスベガスのホテル・フラミンゴで開催される第3回全国地方検事麻薬取締り会議の取材の話が舞い込み、ラスベガスに戻ってくるが、またまた大騒ぎをして逃げ出し、ロサンゼルスへ帰るところで映画は終わる。終始、ドラッグの幻想が混じりこみ、乾いたユーモアとカジノ・ライセンス法施行(1969年)直後で過渡期のラスベガスの空気がまじりあった一つの時代の終わりを感じさせる仕上がりになっている。

 監督は元モンティ・パイソンのアニメーション担当で、その後は「未来世紀ブラジル」や「12モンキーズ」「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」などで世界的な監督として評価されるテリー・ギリアム。小説の原題「ラスベガスでの恐怖と嫌悪感:アメリカン・ドリームの中心への野蛮な旅」の通りに、まさに、恐怖と嫌悪感に満ちた世界をユニークに仕上げた。名だたる俳優に人気のギリアム監督らしく、キャメロン・ディアスやクリスティーナ・リッチ、トビー・マグワイア、デビー・レイノルズなど豪華な役者がそろったが、製作費1,850万ドル(約21億円)に対して興行収入は1,056万ドル(約12億円)に終わった。デビーはスター・ウォーズのキャリー・フィッシャーの母親で、映画の設定年の1971年当時の超人気歌手だが、ラスベガスのリビエラ・ホテルのショーが有名で、この映画の中で、ソールドアウトのショーに、主人公2人組が酩酊状態でやってきてゴネて入れてもらうも、すぐに追い出されるシーンもある。

 フラフラの二人がスポーツカーで夜のラスベガスを走るシーンは、明らかに合成(ワザとの演出だが)、スターダストやフラミンゴ、リビエラ、トロピカーナなどのホテルのネオンが背景を流れていく。カジノで賭けるシーンは一か所だけで、車のシーン以外は徹底的に部屋の中での乱痴気騒ぎ。ルームサービスもある意味主役の映画だ。奇妙奇天烈でドラッギーな映画だが、原作の小説自体がラスベガスを伝説にした一部で、これを強烈にパッケージしたのが、「ラスベガスをやっつけろ」。好き嫌いは分かれるが、鑑賞する価値はある。


トンプソン(左)とゴンゾーのモデルである弁護士のオスカー”ゼータ”アコスタ、ラスベガス、シーザース・パレス。1971年


ミント400で砂漠のコースを疾走するレース・カー。"Mint 400 Paradise 1985 Pan" by Mobilus In Mobili is licensed under CC BY-SA 2.0