【日本型IRの夜明け】マカオを中心とした中華系オペレーターのプロフィール (1/2)

塚田正晃(タイトエンド)

 タイトエンドの塚田正晃氏がIRについて多角的かつ主観的に解説する連載の第5回。前回はラスベガスのオペレーターを紹介しましたが、今回はマカオで活動する中華系カジノオペレーターについて解説します。

東洋のカジノ王、スタンレー・ホーの物語

 オペレーター編第2弾。今回はマカオに展開する中華系オペレーターを見ていきましょう。事実として確認できる部分をベースにしてはいますが、裏の取れない情報や私の主観的補足も織り交ぜてご紹介していくので、決して鵜呑みにはせず、気になる部分を個別に調査するきっかけとしていただければと思います。なお、特に意思や意図があるわけではないので、事実誤認等があればご指摘いただきたいと思います。

 マカオは16世紀初頭にポルトガルの居留地となり、その後正式にポルトガル領として割譲されました。長年にわたり中国とヨーロッパの文化が交わる地として成長し、貿易拠点としても発達しましたが、19世紀の中頃のアヘン戦争の時代に、アヘンの密輸基地と化してしまいます。その後もなにかとグレーな物流拠点となり、マフィアに支配された麻薬と博打と暴力で腐敗した街というレッテルを貼られることになっていきます。

 ポルトガル政府は乱立するカジノ(賭博場)とそれを巡る抗争を鎮めるために、入札制でカジノライセンスの発行を決断します。これによりカジノからの税金を徴収し、闇カジノを一掃することになり、治安はかなり良くなったとされています。前回のラスベガスも同じような理由で合法化されたと紹介しましたが、ラスベガスよりも100年早い1840年頃の話です。

 当時はサイコロ賭博等の小規模な博打場を運営するに留まっていたようですが、さらに100年以上が経過した1961年、スタンレー・ホー(何鴻榮)が新たに独占的なカジノライセンスを獲得したところから、雰囲気が一転します。ホーはラスベガスで近代的なカジノを学び、カジノの収益を原資に空港や港を整備し、さらには大学や病院の設置等、マカオのインフラ整備を推進していきます。さらに食の街マカオのイメージを構築し、香港からマカオのまで3時間半かかっていた航路には高速艇を投入し、1/3の75分に短縮しました。こうした動きが功を奏し、香港の富裕層の人気を博し、東洋のラスベガスと言われる現在の姿を造り上げていきます。

近代的に生まれ変わったマカオのカジノ

 ホーが率いるSTDM社の独占状態はなんと41年間も続きました。数年ごとに訪れる更新時期に行政サイドにさまざまな提案を繰り返し、高くなる税率を飲み込んできたからこそ実現した長期的な独占状態でした。カジノ関連の収入が財政の半分以上を占めると言われるマカオは、STDM、つまりスタンレー・ホーのおかげで潤っている状況になっていきます。こうして東洋のカジノ王、マカオの盟主といった肩書きがつくようになり、彼の生涯は多数の本や映画にも描かれるようになりました。

マカオ返還のタイミングでカジノは門戸開放へ

 40年に及ぶ独占状態はたくさんの功績を生み出しましたが、ブラックボックス化した運営の影響による陰の部分も数多く指摘されていきます。こうした状況を受け、1999年に中国にマカオが返還されたタイミングでさまざまなルールの見直しが行われます。2002年にはカジノ・ライセンスは最大3つ発行されることになり、自由な競争を促進するため外国企業にも門戸が開かれることになりました。ライセンス取得者は新たに埋め立てたコタイ地区をカジノ・リゾートエリアとして開発していくことになります。最初の3つのライセンスは、スタンレー・ホーが率いるSTDMの後継会社であるSJM、前回ご紹介したアメリカのウィン・リゾーツ、そして香港のギャラクシーが獲得します。まずはこの3社から見ていきましょう。

・SJMリゾーツ
 1960年代にマカオの独占的なカジノ・ライセンスを獲得したスタンレー・ホーが、カジノの運営のために1962年に設立したSTDM「Sociedadede Turismoe Diversõesde Macau(ポルトガル語でマカオ観光レジャー会社という意味)」の後継企業です。SJMは「Sociedade de Jogos de Macau」の略でJogosはゲーミングを意味する言葉です。さらに昨年6月には略称だったSJMを正式名にしてSJMリゾーツに社名を変えています。長年同社を牽引してきたスタンレー・ホーが2020年5月に98歳で亡くなり、現在は娘のデイジー・ホーが引き継いでいます。

 SJMは半島側旧市街を中心に大小20以上の施設を運営しています。旗艦施設は1970年にオープンした、マカオ半島の南湾湖に面した「ホテル・リスボア」です。ポルトガルの首都リスボンに因んだ名前のホテルはポルトガル様式で建設され、マカオを代表するカジノ・ホテルとして世界中にその名を轟かせました。2008年には隣接地にハスの花をイメージした52階建ての特徴的な金ピカな「グランド・リスボア」を作りマカオのランドマークになっています。2021年7月にはコタイ地区に「グランド・リスボアパレス」をオープンさせていますが、コロナ禍の中ということで、静かなスタートになっています。日本IRに関しては展示会等への出展はありましたが、具体的な動きにはなっていませんでした。

マカオのランドマークでもあるグランドリスボア

・ウィン・リゾーツ
 ウィンに関しては前回後紹介した通りですが、マカオでは半島側の「ウィン・マカオ」とコタイの「ウイン・パレス」を運営しています。「ウィン・マカオ」はラスベガスのウィンとマカオの2棟をそのまま持ってきたようなゴージャスな外観で、2016年に完成した最新の「ウイン・パレス」は施設前の人工湖を周遊するようなゴンドラに乗ってのアプローチからエンタメ要素満載。いずれにしてもアメリカ的なゴージャスを前面に打ち出しています。

・ギャラクシー・エンターテインメント
 1988年に香港に設立されたカジノ・オペレーター。元々は建材会社からの業態変更と言われています。旗艦の施設はコタイ・エリアの「ギャラクシー・マカオ」です。そのほかマカオに大型の施設を2つと、小規模のカジノ施設を運営しています。新興ながら中国人のニーズを的確に捉え、カジノに頼らないホリデー・リゾートというコンセプトを打ち出し中国人観光客のリピーターが多いのも特徴の一つになっています。日本IRに関しては横浜ほかいくつかの都市でのチャレンジを模索していましたが、撤退を表明し、現在は動きを止めている状態のようです。