<IR用語集・基礎知識> ラスベガス

JaIR編集部

アメリカ西部のネバダ州最大の都市で、面積352㎢、人口220万4,079人(2017年JETRO調べ)。経済の柱はカジノを含む観光業で、訪問客数は2016年に年間4,294万人を記録。人口・経済規模ともに、ネバダ州全体の7割を占める。日本からはロサンゼルスやサンフランシスコ経由で約13時間。スペイン語で“肥沃(ひよく)な土地”を意味するラスベガスは元々砂漠地帯で、大自然が広がる場所でもある。

ネバダ砂漠のオアシスとして発展してきたが、1840年代、ゴールド・ラッシュとともにギャンブルが始まり、1929年の世界大恐慌で転機を迎える。景気対策としてのフーバー・ダムの建設で潤沢な電力がもたらされると同時に、ネバダ州は国内で初めてギャンブルを合法化。戦後1946年、ベンジャミン・シーゲル(愛称バグジー)が、当時は街の外れだった場所に「フラミンゴ・ラスベガス」を開業する。ホテルにプール、ゴルフクラブなどを付設し、人気歌手のショーを開催するなど、ギャンブルと娯楽を兼ね備えたリゾートの原点を作る。この後、フラミンゴの周辺エリアに続々とホテル&カジノが開業。現在では40以上の大型施設が軒を並べるストリップ(大通り)へと発展していく。

華やかさの裏で、マフィアの資金源であることが問題視されたが、1969年、実業家のハワード・ヒューズなどの働きかけでカジノライセンス法が改正。1980年代には大手企業が中心となる。1988年、スティーブ・ウィンが「ザ・ミラージュ・ホテル」を開業。巨大な火山アトラクションがファミリー層に人気となり、街のテーマパーク化が進む。また、シェルドン・アデルソンが1990年に「サンズ・エキスポ&コンベンションセンター」を設立して以降、MICE統合型モデルという概念が浸透していく。カジノの年齢制限はいずれも21歳以上で、自国民、外国人ともに入場無料。

世界の客室数上位20ホテルのうち、11がラスベガスに集中するが、カジノの収益がベースのためホテルの客室単価は低く抑えられており、全体で9割近い客室稼働率(全米平均は7割弱/2019年ラスベガス観光局調べ)を示している。カジノの街のイメージが強いが、近年MICEやエンタメ等のゲーミング以外の比率が高まり、ゲーミングだけの売り上げでは2006年にマカオに抜かれている。それでもカジノを中心としたエンタメ、ビジネスの街として、世界一の存在感を示している。

(2020年8月27日更新)