元ギャラクシー岡部智氏が振り返る日本型IRの十年と次の未来 (2/4)

大谷イビサ(JaIR編集部)

起爆剤となった2013年のイベント、インバウンド=IRというストーリー


玉置:電通では実際にどのような活動をしていたのですか?

岡部:オペレーターの方々とはかなりお会いしました。というのも、オペレーターから依頼を受けて、日本の法制度や市場動向をレポートするというのが、われわれにとってのビジネスになっていたからです。5~6社くらいやりましたが、みなさんの関心は日本の法制度の進み具合と今後の政府や自治体のIR誘致計画に質問が集中していました。それくらいIRに関する政治と自治体の動向に、多くのオペレーターが興味を示していたということです。

玉置:岡部さんから見て、IRが認知されたきっかけってありますでしょうか?

岡部:2013年の3月、電通主催で「JIRフォーラム」という日本版のIRを啓発するイベントを実施したのですが、大きな反響を呼びました。600人くらいの来場者があり、業界の方も来ましたし、メディアでも取り上げられました。今から振り返るとこれが1つの弾みになったと思います。

実は当時、「IR=インバウンド」という意識はあまりなくて、10年近く続いていた日本経済のデフレ状態に対する経済対策や地域振興の1つだと受けとめていました。そもそもインバウンドという考え方自身がより鮮明になってきたのが2014年頃だったと記憶していますが、そのきっかけも当時官房長官だった菅さんがビザの緩和に力を入れていましたね。

玉置:確かにインバウンドでの観光客も急激に増加したんですよね。

岡部:訪日観光客は年間600万人くらいで長らく停滞していたはずですが、あそこから一気に伸びました。私もジャカルタ赴任のとき、日本大使館の前にいつも長い行列があったのですが、聞いてみたら、観光業者が日本に行くためのビザ待ちの行列だったのです。それくらい手続きが大変だったわけですね。2014年以降、アジア諸国中心にビザの発行が緩和されたので インバウンドでの観光客が8桁に載りました。
 

ギャラクシーへの転職はシンプルな「ご縁」


玉置:とはいえ、IRの実現までは大変でしたね。

岡部:IR法案が通るまでの困難さは想像以上でした。その後、IR推進法が国会を通過したのは2016年12月ですから、部署が作られて5年以上が経っている。その間、部署として維持するのが大変になってきたので、途中でプロジェクトベースに変更して継続しました。

とはいえ、会社としてはIRをきちんと見据えていこうという方針だったので、電通としては各オペレーターとのつながりを強化したり、各自治体や商工会議所などの団体とのコミュニケーションを強化したり、私が講師として勉強会で講演するといった活動をやっていました。こうした勉強会に来てくれた方で、誘致に手を挙げた自治体の方もいましたよ。

玉置:IR業界をリードする人材として、岡部さんに注目が集まっていたんでしょうね。

岡部:そんなそんな。ただ、その頃には、ある種の使命感が生まれており、「電通の立場として日本でIRを推進していけるよう、地盤を固めなければならない」と強く抱いていました。

玉置:そんな岡部さんがギャラクシーに移った理由はなんですか?

岡部:シンプルに「ご縁」ですね。最初は行くなんてまったく考えていませんでした。お声がけを受けてから、1年くらい経って結論出しました。年齢も年齢だったので、一度環境を変えてもいいかなと思って。

玉置:入社してからなんか印象変わりました?

岡部:IRオペレーターとはこれまでずっと接触していたので、別業界に来たという印象はなかったですね。カジノに詳しいわけでもない私がやったのは、むしろ政府や自治体、企業とのより緊密に接触することで、電通時代にやっていたことをさらに進めていきました。