【日本型IRの夜明け】ラスベガスで生まれ育ったオペレーターのプロフィール (1/2)

塚田正晃(タイトエンド)

 タイトエンドの塚田正晃氏がIRについて多角的かつ主観的に解説する連載の第4回。今回からはIRの収益エンジンとも言われるカジノについて取り上げます。まずは主要プレイヤーであるラスベガスのカジノオペレーターについて解説します。

カジノ合法化からスタートしたラスベガスとオペレーター

 今回からカジノについてまとめて行きます。情報誌を作ってきた経験から言うと、「裏の取れていない情報を出すな」という大原則がありますが、カジノについて調べれば調べるほど、裏の取れない怪しい情報ばかりであることに気づかされます。数字的にも基準がまちまちで比較することの意味を感じなくなります。加えて日本にまだカジノが存在しない、コロナ禍に巻き込まれ約3年近くも海外取材に行けていないと言うこともあり、眼で見て肌で感じてアップデートできていない情報も含まれています。もちろん私なりに最善を尽くしますが、全体像をふわっと把握していただき、必要な情報に個別に調べていただくきっかけとなれば幸いです。

 初回はカジノオペレーターまとめです。カジノの起源はヨーロッパなのですが、IR的な意味合いでのカジノは、やはりアメリカ・ラスベガスで育ってきたものなので、まずはラスベガスで育ってきたオペレーターの流れをざっと見ていきたいと思います。

 ギャンブルの街ラスベガスの起源はゴールド・ラッシュの頃に遡り、当時砂漠のオアシスとして栄えた街に自然発生的に賭博場が増えていったようです。フーバーダムの建設でさらに脚光を浴び、電気と水がふんだんに供給されるようになった頃、1931年にネバダ州が全米で唯一カジノを合法化しました。合法化によりこれまで無法地帯だったカジノからの税金を徴収し、非合法の悪質なカジノを根絶することが狙いだったようです。

 1945年、新たな資金源として目をつけたマフィアがラスベガスの開発に着手します。この時代の話はドラマ性が高いので「バグジー」、「ゴッドファーザー」、「カジノ」といった多くの映画に描かれています。これらの映画の印象が日本に「カジノ=怖い」というイメージを定着させてしまっていることは否めませんが、現在のラスベガスの原型が作られたのがこの頃です。

 1967年に謎の大富豪として知られる敏腕実業家のハワード・ヒューズがラスベガスに登場し、政治力を駆使し街のルールを変えていきます。アメリカ中がマフィアの排除に動き出した時代背景もあり、マフィアが作ったこの街の買占めを進めていきます。ヒューズの伝説はいくらでもあるのですが、それはいずれまたどこかで。

 いずれにしてもこの時代にカジノに関する法の再整備が行われ、クリーンなビジネスとして企業が参入しやすい形が整いました。現在も残る主なオペレーターはこれ以降に誕生し整備されてきています。さっそく紹介していきましょう。

・シーザーズ・エンターテインメント
 「ラスベガスを作り変えた男」とされるジェイ・サルノが1966年に現在のラスベガスの世界観とでもいうべき豪華絢爛な大型ホテル「シーザーズパレス」を作ったことが源流になっています。M&Aを繰り返し、一時はMGMとともにラスベガスの物件を二分するとまで言われる規模に成長しています。セリーヌ・ディオンのために大型のホールを建設し、常設公演を大成功させたことは記憶に新しい出来事です。
現在のシーザーズ・パレス
 カジノオペレーターは買収や合併が繰り返され、所有者が転々としている例は数多く、シーザーズも昨年2020年にエルドラド・リゾーツ社に買収され現在同社の傘下に入っています。エルドラドはルイジアナの船上カジノをルーツに持ち、ラスベガス以外の全米各地で多数の施設を運営している大手オペレーターです。この統合でシーザーズがラスベガスに所有していたホテルの売却が加速するなど、グループ全体での再編が進んでいます。一方でシーザーズはイギリスのオンライン・スポーツ・ベッティング会社大手のウイリアム・ヒルを買収し、シーザーズ・スポーツブックとしてリブランド展開を始めています。

 日本IRでは北海道、横浜で精力的な活動をしていましたが一時撤退していました。が、昨年の9月、クレアベストと組んで和歌山IRのカジノオペレーターとして参加することを発表して関係者をざわつかせています。

  ・MGMリゾーツ・インターナショナル
 シーザーズパレスが建設された土地の所有者であったカーク・カーコリアンが、土地の売却資金で1967年に作った、「インターナショナルホテル」が源流とされています。カーコリアンは当時世界一の規模とされた同ホテルへの集客のために2000人収容のホールを作り、当時人気絶頂だったエルビス・プレスリーのショーを誘致しました。公演中プレスリーはホテルのペントハウスに滞在し、7年間にわたり合計636回開催しています。現代のセリーヌ・ディオンにもつながる「レジデンシー・ショー=常設公演」のはしりとなり、多くの人がホテルを訪れることになりました。

 MGMというと007やロッキー等数々の名作を生み出している映画会社のイメージが定着しているの で、そのカジノ部門だと思っている方も多いかと思います。が、実はカーコリアンがインターナショナルホテルの成功で得た資金で老舗の映画会社を買収し、自身のカジノ・ビジネスにそのブランドイメージを利用したというのが正しい見解です。その後映画部門は再び売却され、現在は資本関係のない別会社にながら、MGMという名前だけは残っているという形です。今年の3月にアマゾンが映画のMGMを傘下に収めましたが、カジノ・オペレーターであるMGMリゾーツには影響が無いのはそのためです。

 その当時MGMの名を冠した「MGMグランド」を作り、この後にお話するスティーブ・ウィンが作ったミラージュグループを買収し、傘下に収めるなど最盛期にはストリップの主要ホテルの半分はMGMと言われるほどに拡大していました。ここ数年は資産の入れ替え行っており、次々にホテルを売却しています。シーザーズ同様に英国のエンティンと組んで「BetMGM」というオンライン・スポーツベッティングの会社を立ち上げ、こちらへ注力し始めています。

 ラスベガス中心の展開でしたが、マカオにも進出しており、日本でもオリックスと組んで大阪IRの事業者に選定されています。